ss【探求の終わり】

 館内への扉を開ける。この静寂で崇高な空間へ入る瞬間、毎朝感じるえも言われぬ焦燥感はどこかへと消えていく。
 

 ここは人々が知識を求める場所、図書館。そして私はその手助けをする司書としてこの図書館で働いている。
 

 数年、いや数十年前だろうか。インターネットという革新的な発明がなされ、情報はボタン一つでいとも簡単に得られるようになった。そしてこの国では、生きていく為に最低限必要な知識は義務として強制的にインプットされる。それにも関わらず、この図書館という機関が残っている事こそ、我々が常に知を求める唯一無二の存在である事の象徴であるように思う。そうした姿勢があったからこそ、我々はここまで繁栄する事ができたのだ。
 

 今日もよく見知った常連たちが、この図書館で本を眺めている。 と、一人の子供がもの凄い速さで私の側を駆け抜けていった。周りの利用者がしかめ面をして子供を目で追っている。子供は元気である事が、その役割である。いくら辺りに迷惑をかけようが、白い目で見られようが、元気に走り回るのが子供の役割だ。子供を目で追っていた利用者達が今度は私に非難の目線を向ける。

コラァ! 図書館では静かにしなさい!」

 子供が走っていった先から、老人の怒鳴り声が聞こえた。聞き慣れた顛末。いつもの図書館の一幕だ。私は返却された本をラックに載せ、それを棚へ戻す作業を始めた。先ほど子供を注意してくれた老人が私の後ろを通ろうとしたので、

「いつも、すみません」

と礼を言った。すると老人は

「あんたらが注意しないからだぞ。あんたらの役目はこの図書館の秩序を守る事じゃないのか」

といつもの小言を言って通り過ぎた。老人に向かって軽く会釈をする。顔を上げたときには、もう一言だけなにか言いたそうな老人が振り返っているはずだ。しかし私が顔を上げようとした時、「ドッ」という重苦しい音が館内に響いて、見ると老人が床に倒れていた。老人は

「ああああ! がががっ。がー」

と謎めいた声を発し、痙攣している。仕方がないので、私は本を棚に返す作業を再開する事にした。

 全ての本を棚へ返し終えると、私は書庫の整理に入った。書庫は図書館の中でも最も興味深い場所である。利用者が閲覧可能な書架には並べない、古い知識の固まりがここには納められている。私には内容が理解できない物も多い。「郷土史を歩く」「人類のはじめ」「転職の全て」「きょうのおかずレシピ」等々。

 「転職の全て」を開く。私なら司書という役割。子供なら元気でいる事。老人なら子供を叱り、小言を言う事。これ程自明な自分の役割を見失うというのは、とても興味深かった。

 閉館のベルが鳴ったので、私は書庫を出た。利用者は皆、眠ったように動かない。先ほどの老人もまた、同じ場所に倒れている。館内のカーテンを閉めようと窓へ向かうと、オレンジ色の光をまとった太陽が、今まさに沈もうとしていた。この瞬間、私にある一つの考えが浮かんだ。私たちは、自分の役割を見失わない。あの老人のようにならなければ、いつまでもこの図書館で知を求め続ける。しかし、それはなんの為に行われる事なのか。私たちが生きる目的とはなんなのか。

 そこまで考えた時、館内の電気が全て消え、私の思考も強制的にシャットダウンされた。

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