ss【明日への戦い】

ここは体内組織の犯罪を裁く体内裁判所。
今一つの犯罪について判決が下ろうとしていた。
裁判長である脳が厳かに罪状を読み上げる。

「判決を言い渡す。主文。被告人を、脱毛に処す」

「……馬鹿げている!」

鼻毛は声を荒げた。

裁判長は淡々と続ける。

「被告人は、己の勝手な判断でその体躯を伸張させ、外観の美を損なう一因となった。また、度重なる注意にも耳を貸さず、体の不利益となる成長を続けた。よって情状酌量の余地はなし」

「不利益になる、だって? 俺、いや俺たちは体を有害な菌から体を守る為存在している。それを、なんだ!」

「静粛に」

鼻毛は顔を真っ赤にして怒りに震えた。

傍聴席から野次が飛んでくる。

「……身の程をわきまえないからだ、馬鹿が」

野次を飛ばしたのは、髪の毛だ。

鼻毛は裁判長へ訴える。

「俺は、体全体を病気の危険から守る為にこの身を成長させてきた。ただ、それだけなんだ! その一心だったんだ!」
「その為なら外観の美を損なっても良いと?」
「外観は、命には影響しない。だが、病気は死へと直結する」
「病気といったってせいぜい、風邪ぐらいのものだろう」
「今は風邪よりもっと強力な菌が無数に存在している。菌を甘く見るな!」
「……いいか、おまえは伸びすぎたんだ」

傍聴席から髪の毛がやり取りを冷ややかに見つめている。

「出る杭は打たれ、伸びる鼻毛は切られるんだよ」

鼻毛は俯き、唸るようにつぶやいた。

「鼻毛は長い程いいんだ。体をより効率よく守れる。それが……それが何故、分からない!馬鹿どもめ!」

「……脱毛は一週間後に執り行う。これにて閉廷。全ては体の為に」

***

鼻毛達のアジト、左鼻の穴。

鼻毛は子分達へ自分の受けた判決を伝えた。
子分達はたちまち色めきだった。

「脱毛だって!? そんな、馬鹿な!」
「なぜリーダーが脱毛なんですか!」

鼻毛は子分達を諌めるように言った。

「……上が、決めた事だ」

子分達は一斉に不満を口にする。

「クソ! あの柔らかいだけが取り柄の脳め!」
「目に物見せてやる!」

粘膜へ進撃しようとする子分達を鼻毛はその異常なまでに長い体でまとめあげる。

「早まるな、おまえたち」
「しかし!」
「俺に考えがある」
「え?」
「革命を起こす。ただでは死なん」

鼻毛は子分達に革命の内容を説明した。

「……すごいぞ、これは」
「成功すれば、俺たちの地位が一気に上がる!」
「すげぇ……」

子分達は皆、目を輝かせている。
鼻毛は、そんな子分達に向かって問うた。

「戦死者が出る可能性がある。それでもやりたい者だけ、参加してくれ」

子分達は一様に鼻毛へ熱い視線を向ける。

「仕方の無い奴らだな……」

鼻毛の胸へ熱いものがこみ上げる。

「決行は今夜からだ。皆それまでゆっくりと体を休めてくれ」

***

子分達が寝静まってから、鼻毛は一人鼻の外の景色を眺めていた。
この景色も、あと数える程しか見られないだろう。

「よう、左」

不意に右鼻の鼻毛リーダーが声をかけてきた。

「右か」

鼻毛達はお互いの事を、左、右、と呼び合っていた。

子分達は鼻の穴は一つだと思っているが、外の世界を見れる程成長した鼻毛はもう一つ鼻の穴がある事を知った。

「脱毛、だってな」

右が低い声で言う。
右は鼻毛と同じくらいの身長を持っているはずだが、巧みに体を折り曲げ、切断を免れてきた。頭のいい男だ。

「やるんだろ。今夜」

鼻毛は、はっとして右を見た。

「……聞こえていたのか」

「昔から声がでかいんだよ、左の奴らは」

右は愉快そうに笑う。

「俺も乗らせてもらうぜ、その革命」
「死者がでる。おまえを巻き込みたくない」
「馬鹿が。その革命、方鼻だけでは成らんぞ」
「分かっている。だが、俺たちだけでも、効果はあるはずだ」
「乗らせろ」

右の有無を言わせない視線を鼻毛は受け止めた。

「部下にも伝えてある。気取った上の連中に一泡吹かせてやろうじゃねぇか」
「馬鹿ばかりだな、この鼻の穴は」

言葉とは裏腹に、鼻毛の表情は晴れやかだった。

そして、夜がやってきた。

***

体は規則正しく寝息を立てている。
穴から外の様子を伺っていた鼻毛と右は頷き合うと、それぞれの穴へ引っ込んだ。

穴の中では子分達が勇ましい様子で鼻毛を見つめていた。
鼻毛は深呼吸すると、叫んだ。

「行くぞ、おまえたち!」
「はい!」

鼻毛は穴の中心を貫くような形でその体を目一杯伸ばした。
そこへ、子分達が絡み付く。
鼻毛を中心に、縫い目の濃い網が出来た。網は、穴の奥からやってくる寝息を跳ね返す。

「フゴッ」

体全体がびくんと震えた。
息は網を散らそうと勢いよく噴き出してくる。
だが、鼻毛達は強靭なその体躯と精神でそれを跳ね返した。
それを何度か繰り返すうち、息は止まり、代わりに「ハー、ハー」という音が穴の外から聞こえてきた。
口呼吸に変わったのだ。

「やった……!」
「成功だ!」

子分達は喜びを分かち合った。

「油断するなよ、戦いはこれからだ」

鼻毛達は夜の間中口呼吸を維持させた。

朝が来て体が目を覚ますと、脳達は狼狽え、激怒した。

「喉に異常を感知!」
「だめです! 鼻から息が吸えません! 自動的に口呼吸へと切り替わってしまいます!」
「くそ! あの鼻毛ども!」
「なんとかしろ!」

脳内は天地がひっくり返ったかのような大騒ぎとなった。

「くそ生意気な鼻毛どもが……。このままでは済まんぞ」

鼻毛達はつかの間の休憩をとっていた。
鼻毛は部下達に掴まれた全身をストレッチでほぐしている。
と、突然穴の外から「キュイイイイイ」という独特な機械音が聞こえてきた。

鼻毛が叫ぶ。

「お前達! 起きろ! カッターだ!」

怪しく光る銀色の筒が鼻の穴に侵入してくる。
ジリリ!と音がして前方に生えていた毛がカッターの餌食になった。

「壁にはりつけ!」

鼻毛達は壁に張り付き、カッターの攻撃を避けた。
だが、毛根に縛られた毛は逃げる範囲にも限界がある。
狂喜乱舞するカッターの刃から逃れられなかった毛は、悲痛な叫び声を上げて刈られていった。

鼻毛にはなにもできない。
ただ、子分達が刈られるのを、体を震わせ見ているしかなかった。

やがてカッターはキュイイイイという耳障りな音を立てながら穴を出て行った。

長い沈黙があった。誰もが頭を垂れている。

「今からでも、辞めたい者は戦線を離脱しろ」

鼻毛は頭を垂れたまま言った。
静寂は変わらない。

いや、静かすぎる……

はっとして顔を上げた鼻毛が見たのは闘志に満ちた子分達の表情だった。
誰もが体中に怒りと闘志をたぎらせ、ギラギラと艶やかに光っている。

「冗談はやめましょう、リーダー」
「鼻毛が数本抜けるくらい気にしちゃいられませんよ。これは革命なんです」

皆、怖いはずだ。

この鼻の穴という安住の地から切り取られ、剥ぎ取られ、未知の世界へ連れ去られる事が怖いはずなのに。

それでもこいつらは俺を押す。これは、もはや俺一人の戦いではないのだ。

***

それから長い時間が流れ、いくつもの毛が刈られ、抜き取られていった。
自分の体が傷つくのならいくらでも我慢ができたが、目の前で子分達が倒れていくのを見るのはこの上ない苦痛だった。

そして、それは唐突に訪れた。

「ゴホッ」

体の上半身が、弾ける様に上下する。

「ゴホッゴホッ、ゲホ」

ヒューという弱々しい音を間に挟みながら、繰り返しそれは訪れた。

この戦いに白旗を上げたにも等しい反応。

体は、風邪を引いたのだった。

これこそが鼻毛達の目的だった。
鼻毛を軽んじたものたちへの逆襲。それが今、成った。

「リーダー」

子分達が声をかけてくる。
皆、やつれ、ささぐれだっていた。これまでの長い戦いが子分達を明らかに疲弊させている。

「ついに、ついにやった……」

鼻毛は菌から体を守る。だが、一度穴から顔を出せば、汚物のように疎まれ、あっさりと刈り取られてしまう。
体全体の事を考え、よりその身を鍛え上げれば、それだけ非難される。
ならば俺たちは一体何の為に生きているのだ。
これまで何本もの鼻毛がそう自問自答し、報われないままその生涯を終えてきた事だろう。

だが今ここに、その答えを一つ示す事ができた。

「鼻毛達よ」

脳からの声が聞こえる。

「我々が間違っていた。どうか、許して欲しい。これから我々は体全体で、体内へと侵入した菌との戦いに入る。その為に力を貸してくれ」

鼻毛は、ゆっくりと答えた。

「外界からの菌は全て遮断しよう。それこそが我々の矜持」
「ご協力感謝する。尚、極めて異例だが、貴殿への脱毛処置は取りやめとする。以上。全ては体の為に」
「……全ては体の為に」

鼻の穴に歓声が沸き起こる。

「やったぞ!リーダーの脱毛は取りやめだ!」

子分達は手に手を取りあい勝利を喜び合った。

歓喜の渦の中、鼻毛は自分の体から力の全てが抜け落ちていくのを感じた。
ゆっくりと、うなだれるように体が折り曲がる。

鼻毛の体が、毛根から始まって毛の先まで、真っ白になった。

「リーダー……!」

子分の一人が気づいて悲痛な声を上げる。
鼻毛は子分達に、かすかな声で語りかけた。

「俺は、もう行くよ。ありがとう、お前達。俺たちは誇り高い鼻毛だ。それを忘れるな。忘れなければきっと……」

穴の奥から子分の叫び声が響いた。

「鼻水だ! みんな伏せろ!」

鼻の奥からゴゴゴという音が響き、程なくして大量の鼻水が溢れてきた。
洪水のような鼻水に流され、鼻毛の体は毛根から抜け落ち、運ばれていく。

「リーダー!」
「リーダー待ってください!」

子分達は鼻毛の体へしがみつこうとするが、鼻水がそれを許さなかった。

「さらばだ、みんな」

鼻毛の体は鼻の穴から鼻水と共に流れ出した。

***

粘着質の鼻水に包まれ、鼻毛の体はゆっくりと重力にまかせ落下していく。

「よう、左じゃねぇか」

薄れ行く意識の中、鼻毛は盟友の声を聞いた。
声は、鼻毛と共に流れ落ちていく。

「なんだ、もうくだばっちまったのか?お楽しみはこれからだぜ」

「なぁ、右」

「なんだ」

「俺たちは、意味があったんだよな?……ただ体の外観を損ない、迷惑をかけるだけの存在ではなく、俺たちは、この世に生を受けた意味があったんだよな」

「何を言ってる。俺たちがいなけりゃ、体なんかただの弱っちぃ木偶の坊さ。それになにより、関係ないじゃないか、そんなの」

「え?」

「意味を決めるのは体じゃない。おまえ自身で決めてしまえ、そんな事」

「……」

「俺は、そうする事にする」

「……あぁ…」

「……くそ、意識が……薄れてきやがったな……」

「あぁ……」

鼻毛は思い出していた。

自分と共に外界の菌から粘膜を守る子分達。

弾む様に元気よく走り回る体。

穴の外から覗く、広く、途方も無い世界。

意味は、あったのだ。俺がこの世に生を受けた事。それを全うした事。
形に残るものじゃない。理屈で言葉にできるものじゃない。
何物にも代え難い気持ちが溢れ、鼻毛の全身を包む。

ゆっくりとした落下が心地よく鼻毛を誘う。
光が鼻水の中の鼻毛を照らし、そして、長い静寂が訪れた。

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