ss【誰からも見える幽霊】

 「幽霊は見えない」なんていう常識はいつからあったのだろうと、青年は思った。

 ある日、車に轢かれた青年は誰からも見える幽霊になった。

 体は半透明。足はない。飛ぶ事はできないが、ふわふわ浮いている。物を掴めない代わりに、壁をすり抜ける。

 立派な幽霊だったが、誰からも見えた。

 最初は

「キャー!」

と驚かれ、その後

「すごーい!」

ともてはやされた。

 肉眼はもとより、青年はテレビカメラにすら映ったので、世界中から人が集まった。

 人の噂も七十五日とはよく言うが、青年は三ヶ月程で飽きられた。今では外国のテレビ局がちらほらと取材にくるだけである。

 そんなある日のこと。青年は恋をしてしまった。

「三村さん」とみんなから呼ばれているその女性は三十代前半の綺麗な人。髪はいつも一結び。口調はちょっとキツめだが、面倒見が良い。背筋をすっと伸ばして歩く。

 青年は恋に落ちて、まさに天にも昇る思いを抱いたが、すぐに奈落へと落ちた。

 三村さんには、青年が見えないようなのだ。

 目の前で大声を出そうと、変な踊りを踊ろうと、耳に息を吹きかけようと、三村さんは一切反応を示さず、青年と目が合わない。

 風の日も雨の日も青年は三村さんと一緒にいた。着替えも風呂もその気になれば覗けたのだが、青年の美学がそれを許さず、そういった場面では厳かに席を外した。

 仕事中はキビキビと動きピシピシと指示を出す三村さんだったが、一人で歩く時、よく鼻歌を歌った。青年はその鼻歌が大好きだった。

 青年と三村さんが出会ってからひと月程経ったある日。

 その日も三村さんはいつも通り仕事に出掛けたが、ミスを繰り返した。同僚が心配して声をかけると、三村さんは「大丈夫」と弱々しく笑った。

 家に帰ると、三村さんは座り込み、ガタガタと震え、「寒い……」と呟いた。

 青年はおおいに狼狽えて、持てないやかんを探し、持てない毛布を掴もうとした。

 青年は初めて幽霊になってしまった事に深い悲しみを覚えた。

 青年は三村さんの後ろに回り込み、抱きしめた。

 抱きしめるという表現が正しいのか分からないが青年はそうせずにはいられなかった。

 夜の間中、二人はずっとそうしていた。

 翌朝、カーテンの下から日が差し込むと、三村さんは立ち上がり、外へ出た。

「出歩いて大丈夫なの? 風邪は治ったの? 寒くないの?」

聞こえていないのは分かっていたけれど、青年は三村さんに問いかけた。

 近所の公園に着くと、三村さんはベンチに座った。

 早朝の公園には人気がなく、白く柔らかい日差しが落ち葉を照らしている。

 朝日に照らされた三村さんはいつも以上に美しい。

 日差しが青年を通り抜け、地面を鮮やかに照らす。その時が来てしまった、と青年は感じた。

 青年は、慈しむように三村さんを見つめた。

「よく、恋人は外見じゃ選ばないとか言う人がいるけど、笑うよね。あなたは、とても綺麗だ。あなたを見ていると、自分が死んでいる事なんてどうでもよくて、あなたをずっと見つめていたいと思った。あなたが喜んでいる時も、悲しんでいる時も、見ていたいと思った。そばにいたかった。力になりたかった。ちゃんと抱きしめたかった。……でも、もう行かなくちゃ。ありがとう、三村さん。一度も話した事はなかったけれど、あなたの事が、とても好きでした」

 言い終えると、青年の体はまばゆい光に包まれ、薄くなっていった。

「……馬鹿ね」

三村さんが呟き、ポロポロと泣き始めた。

「抱きしめてくれてありがとう。とても、温かかった」

今のは幻聴だろうか。青年は薄れてく意識の中で思った。

「……天国で会えたら、もう一度口説いてもいいですか?」

涙をこぼしながら、三村さんはにっこりと笑った。

「綺麗なおばあちゃんになって、会いに行くわね」

 柔らかな日差しの降り注ぐ公園に弱い風が吹き、三村さんの涙をぬぐって、消えた。

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