みそ汁みくじ

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いま俺は、ある理由でいつもと逆方向のバスに乗っている。

朝、なんとかいつもの時間に家を出てバスに乗った俺は、最寄駅についてそのまま、また戻りのバスに乗った。

こんな時間に家に戻ったら確実に遅刻である。

でも会社に遅刻することより大事なことがある。

俺は、おみくじを引くためにこのバスに乗っているのだった。

元々「みそ汁みくじ」は母の発明だった。

俺がまだ幼い頃、みそ汁を最後まで飲まない俺のために母が考えたアイデア食器。

それが「みそ汁みくじの椀」だった。

みそ汁の椀の底に「大吉」「吉」と書いただけの単純なものだったが、その椀のおかげで子供の俺はまんまとみそ汁を最後まで飲み干すようになったらしい。

母のみそ汁みくじはバラエティーに富んでいて、普通の「大吉」「小吉」といったものもあれば「猫吉」なんてものもあった。

「なんだよ、これ」

と聞くと

「今日は猫ちゃんが福を呼んでくるでしょう」

とよく分からない回答が返ってくるのである。

妻が初めて俺の実家に泊まった時も母はおみくじの椀でみそ汁を出した。

そして面白い物好きの妻は案の定おみくじの椀を気に入り、実家からいくつかもらってきて、うちでもその椀でみそ汁を出すようになった。

実家からもらってきたおみくじの椀は、今では俺だけではなく俺の息子相手にも活躍しているというわけである。

ではなぜ俺がいまバスに乗っているのかというと、今朝俺は妻のみそ汁を飲まなかったからだ。

昨夜から些細なことで喧嘩をし、口をきいていない。

なんだか調子が狂った俺はまんまと寝坊し、妻の用意した朝食を食べることもできずに家を飛び出した。

そして俺はいま、家に戻るためにバスに乗っている。

結婚する時にした「おみそ汁だけは食べて出ていく事」という約束を守るためである。

バスを降りて家に向かう。

息子を保育園に送っている時間だから、妻は家にいないはずである。

鍵をあけて家に入る。

ダイニングテーブルの上は綺麗に片付けられていた。

「もう、しまっちゃったか……」

さてどうするかなと考えていたら、電子レンジの中に冷えたみそ汁を発見した。

俺の分だろう。

例の約束をしたから残しておいたのか、それとも後で自分で食べるつもりだったのか。

俺はレンジのスイッチを入れて、みそ汁を温め直した。

加減を間違えて熱湯みたいになったみそ汁をふーふーと冷ましながら、今日の椀には何が書いてあるのかと予想した。

ちょっと嫌な予感はしている。

というのも、この椀をくれた時、母が妻にこそっと「とっておきのお椀もあげる」と言っていたのを聞いたからだ。

なんとなく、今日、その椀が発動しているような気がする。

そんな俺の予想は、やはり、当たった。

椀の底には今まで見たことのない文字が書いてある。

“ゆ吉”

“お小遣いをくれたら許します”

「俺が悪いんだっけ〜?」とか独り言を言いながら、俺は財布から一万円札を引き抜いて「ごちそうさま」と書いたメモと一緒にダイニングテーブルに置いた。

昼前。

遅刻した遅れを取り戻すため猛烈に働いていると、妻からメッセージが届いた。

「お小遣い、受け取りました。今度の日曜日あけといて。これで、みんなで美味しいもの食べ行こ」

なるほどね、と感心した途端、グ〜〜と腹がなった。

そう言えば今日はまだみそ汁しか食べていない。

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