ss【布団図書館】

遅くまで飲みすぎて、会社の近くに住む後輩の家に転がり込んだ時のことだった。

その子はまだ二年目の新人で、私のことを「カッコいい女性社員の見本」と慕ってくれている子だった。

その子の部屋はとても可愛らしい部屋だったのだけれど、一つだけ意外な面を見つけた。

「布団で寝てるんだ?」

その子の部屋には布団が壁に面して敷いてあったのだ。

しかし、そう言ってから「あれ?」と思った。

部屋にはシングルベッドも一つあった。

ははあ。

これは野暮なことを聞いてしまったかもしれない。

私がそんな心配をしていると後輩が笑った。

「あはは。先輩、布団図書館知らないんですか?」

「布団……図書館?」

「そですよ。今、結構人気なんですよ。先輩って本読みますよね」

「うん」

「じゃあおすすめですよ、これ」

後輩はそう言うと、布団をぺらりとめくった。

何の変哲もない布団のようだが。

「あ、先輩、パジャマに着替えてください」

「へ? パジャマ?」

後輩がパジャマを差し出してくる。

私はスーツを脱いでパジャマに着替えた。

「じゃ、寝てみてください」

「えぇ〜!?」

「いいからいいから」

後輩に促されて、布団に入る。すると、後輩が掛け布団を頭まで被せてきた。

「ちょ、ちょっと!」

「いいからいいから」

後輩の声がくぐもって聞こえる。

その時、布団の中がぼんやりと明るくなった。暖色系の間接照明がついたような感じである。

なんだろう、この懐かしい感じ……。

「先輩、布団の中で本読んだことってありません?」

「布団の中で?」

「そう。お母さんとかに早く寝なさいって言われたけど、まだ本が読みたくて、布団の中で読むんです」

確かに、そんな記憶はある。懐中電灯を布団の中に持ち込んで、学校の図書館で借りてきた本を読んでいたことがあったような。

「なんで知ってるの?」

「あはは。みんなだいたい似たような経験があるものなんですよ」

そして後輩はこの布団について教えてくれた。

これは布団図書館というもので、布団の中で本を読むためのものだという。

確かに、頭まですっぽりと布団に入ってしまうと、そこは完全に外界と隔絶された世界なので本を読むには最適なのかもしれない。

息苦しくなるんじゃないかなと思ったがそこはきちんと対策がされていて、掛け布団が空気を通す構造になっているらしい。

それなのにちゃんと布団の中が温かいのが不思議だ。

後輩によると、布団内部の照明の明るさや照明タイプなんかも選べるらしい。

「へぇ〜、いいな、これ。。。買おうかな」

「ちょ、先輩、早い早い!」

そう言って後輩が笑う。

どうやら布団図書館の真骨頂は他の機能にあるらしい。

「ちょっと失礼しますね」

そう言うとパジャマに着替えた後輩が布団に潜り込んできた。

「ちょ、ちょちょ!」

「へっへっへ。ほら、先輩もこっち向いて」

後輩は私が寝ているのと反対方向、つまり足の方に頭を向けている。私は布団の中でモゾモゾと体をひねって後輩と同じ方向を向いた。

「いいですか? 行きますよ」

そう言うと後輩は、布団の中から布団に面した壁にあるジッパーのようなものを引いた。

すると、単なる壁であるはずの場所から光が漏れ出した。

「えっ……? なに、これ!」

私は目の前の光景に目を疑った。

壁だったはずの場所にジッパーで楕円形状に穴が開き、その先に図書館があった。

どこか西洋の建物を連想させるような、そんな素敵な図書館。

図書館の館内は薄暗い照明で照らされている。

「よいしょっと」

後輩はジッパーから足を下ろして、図書館に降り立った。

「ほら、先輩も早く早く」

後輩に促されて、図書館に降り立つ。

図書館の床はふわふわの絨毯で、裸足でも全然冷たくなかった。

そしてよく見ると、寝間着姿の人々がちらほらと棚の前で本を選んでいる。

「ここは会員制の図書館なんです。布団はある意味おまけかも、ですね」

後輩がそう説明してくれる。

なんでも、月額料金を払えばここの本は読み放題で、布団の料金はかからないらしい。

ここに来る条件は「パジャマを着てくること」だけ。

後輩は夜な夜なここで本を選んで、布団の中に戻って読むらしい。

「先輩、好きでしょこういうの」

なんで見抜かれているのか分からないが、私はこの場所をすぐに気に入り、後輩の布団から部屋に戻ってからすぐ布団図書館の布団を取り寄せていた。

***

それから私は、家に帰るとすぐご飯を食べてお風呂に入り、いつもの時間の二時間も前に布団の中に入った。

そして図書館から借りてきた本を布団の中で読む。

優しい照明に包まれた布団の中はとても安心できる空間で、読書が捗り、そのまま眠ってしまうこともよくあった。

一冊本を読み終わったら、足元のジッパーから図書館に行って新しい本を借りた。

図書館には読書スペースがあり、眠れない夜はそこで本を読むこともできた。

パジャマ姿の人々が誰も話さずに本を選んだり本を読んだりしている空間は、日々の疲れを癒してくれた。

そんなある日。

「先輩、私、彼氏できました!」

後輩がそんな報告をしてきた。

なんでも、あの布団図書館の中で出会ったらしい。

なるほど。確かにあの図書館を使うような人とならばある程度趣味も合うだろうし、すぐに仲良くもなれるだろう。

ある意味それ目的であの布団図書館を利用する人もいるのかもしれない。

なにしろ、下世話な話だが、あそこで知り合ってお互いの部屋に行けばそこはもう”布団の中”なのだ。

私は図書館で恋人探しをするつもりはないので、そういう人ばっかりになったらちょっといやだな。そんなことを考えていた頃だった。

「ねぇ、お姉さん」

布団図書館の児童文学の棚で本を選んでいた時に声をかけられた。

しかしそれは男性ではなく、小さな女の子だった。

「私かな?」

「うん。……あの、その棚にある本を取ってくれない?」

女の子は棚の最上段にある本を指差した。

背が届かないらしい。

「これね。はい」

私が本を取って渡すと、女の子は「ありがとう」と礼儀正しく言って嬉しそうに本を受け取った。

女の子がいま持っている本は昔読んだことのあるシリーズである。

「私もその本、大好き」

「お姉さんも読んだことあるの?」

「うん。魔法使いの犬が可愛いんだよね」

「うん!」

そんな会話をきっかけに、私たちは仲良くなった。

女の子の名前はクミちゃんと言った。

クミちゃんと私は、たまに図書館で会うと読書スペースで少しお話をした。

クミちゃんはとても本が好きな女の子で、私が読んだことのない本もたくさん読んでいた。

私が自分の好きな本を勧めたり、逆にクミちゃんからおすすめされた本を読んだりして、お互いに感想を伝え合ったりした。

そんな風に私たちは仲良くなっていったのだが、一つだけ気がかりなことがあった。

私がクミちゃんに会うのは大人でも寝ている人が多いようなちょっと遅い時間帯だった。

もしかしたら海外に住んでいる子なのかもしれないとも思ったが、どうもそうではないことが少しずつ分かってきた。

クミちゃんはちょっとずつ自分のことを話してくれた。

クミちゃんは学校で男子たちに暴力を振るわれたことがあり、それ以来あまり学校に行けなくなってしまったらしい。

そんなクミちゃんの為に、ご両親がこの図書館を使わせてくれるようになったそうだ。

優しいご両親だな、と思った。

「ねぇ、お姉さんも学校は行った方がいいと思う?」

クミちゃんにそう聞かれた時、私は

「無理して行かなくてもいいんじゃないかな。本から学べることもたくさんあるよ」

なんていう当たり障りのないことしか言えなかったのだった。

***

ある日、私は初めてクミちゃんと出会った本棚の前に立っていた。

その日もクミちゃんはいなかった。

最近、クミちゃんが図書館にやってこない。

なぜ図書館にやってこないのか。

両親が布団図書館の料金を払わなかくなったのか。

それとも……。

悪い想像ばかりしてしまう。

私たちはあくまで”ここだけ”の友達だった。

だからクミちゃんがどこに住んでいるのかも知らないし、苗字すら知らない。

クミちゃんにとって私は「図書館のお姉さん」であってそれ以上でもそれ以下でもなかったし、クミちゃんにとって一つの居場所である為に、私自身も自分の話はあまりしなかった。

だからクミちゃんに何があったのかを聞こうと思っても、それは叶わない。

きっと、何も、ないよね。

そんな風に祈りながら、私はクミちゃんと出会った本棚から本を抜き出した。

***

そして、その本棚の本があらかた読み終わってしまいそうな、そんな時だった。

「あの……失礼ですが」

私より一回り上くらいの女性が話しかけてきた。

「あの、もしかして、クミと仲良くしてくださった方じゃないでしょうか」

私はなぜかサッと血の気が引くのを感じた。

その女性はクミちゃんのお母さんだった。

どうして、クミちゃんのお母さんがここにいるのだろうか。

私は最悪な想像をしてしまっている自分に気がついた。

読書スペースにつくとクミちゃんの母親は口を開いた。

そしてそれを聞いた瞬間、私はわんわんと泣き出してしまった。

「クミは、あれから少しずつ学校に通えるようになりました。学校でも友達が出来て、昼間に遊び疲れて早く寝てしまうようになったんです。だから早い時間にここに来ていたようなのですが、お姉さんに会えなくなっちゃったって。そう言っていました」

私はそれまでの緊張の糸が切れるように、今までの悪い想像を洗い流すように涙を流した。

そんな私を見て、クミちゃんのお母さんは「もし、よろしければクミと会ってやってください」と言って、私をクミちゃんの布団のところまで案内した。

お母さんに続いて布団に潜りこむと、そこには小さな寝息を立てるクミちゃんがいた。

布団の中は、なんだか甘い、ミルクみたいな匂いがした。

クミちゃんは少し身をよじってからうっすらと目をあける。

「ママ……?」

「……クミちゃん、私だよ」

私を見たクミちゃんは、目を見開いた。

「お姉さん!」

「久しぶりだね」

「うん! あのね、クミね、お姉さんにずっと会いたかったんだよ!」

「知ってる。さっきママから聞いたよ」

「あのね、クミね、学校でお友達が出来たんだ。お姉さんと一緒で、本の好きな子。メグちゃんって言うの」

「そっか。良かったね」

そうして私たちは、この温かい布団の中で、二人だけの空間で、いつまでもいつまでもお話を楽しんで、クスクスと笑いあった。

(了)

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