ss【天使のクリニック】

今日もこの病院にはたくさんの患者が訪れている。

当然だ。

彼ら、彼女らの為の病院はここにしかないのだから。

「天使のクリニック」それがここの名前だった。

人間の世界に大勢紛れ込んでいる天使の仕事は人々の願いを叶えること。

恋のキューピットが人間の世界では有名だが、他にもたくさんの天使が人間の姿に紛れて人間界に住んでいる。

天使の加護によって世界が守られていることを、人間たちは知らない。

天使は人間の幸せのため、身を粉にして働いているのだ。

そんな天使の為の病院がこの「天使のクリニック」であるというわけだ。

そして私はこの病院の唯一の医者である。

天使たちがここに訪れる理由はいくつかある。

例えば人間の想像を超える醜さに精神を病んだものに対する心的ケアもその一つだし、天使として有する羽の不調に関する症状も見る。

そしてその中でも特に大きな役割は外科診療。つまり、羽の”除去”にある。

天使は、例えば人間界の人間に恋をするなどして天使としてではなく人間として生きることを希望する場合がある。

そうした場合は天使の羽を除去し、その資格を剥奪して人間に”堕とす”ことが私の役割だ。

天使は羽をなくすと天使としての記憶や能力はなくなり、一介の人間へと堕ちる。

天使は神が存在する限り永遠の存在なので、わざわざ有限の存在である人間に堕ちることを希望するものなどないと医者になる前は思っていたが、思った以上に天使から人間への転身を望むものは多い。

確かに、人間が思い描くほど悠久の時というのは素晴らしいものではないのだが。

私自身、一人の天使としてここで永遠に患者を見続けるということに気が遠くなることもあるが、それでもこれが神より仰せつかった使命なのだからそれを全うすることこそ私が存在する意味なのであった。

しかし。

この「天使のクリニック」の閉鎖が決まった。

人間の進化は予想以上に早く、量子的観点から多次元の理解を進め、ついに「神」の存在に気付きつつあった。

自分たちの世界が神の加護の基にあるという事実を、直感から来る妄想に近い理解ではなく、事実として知り得るレベルまで、人間の知性は到達したのである。

これから人間界では、妄想に過ぎなかった神や、あやふやな噂程度に過ぎなかった霊魂などの存在に揺れ動くことだろう。

神はこれを受け、天使の人間界への派遣を停止。

それに伴い、このクリニックも閉鎖する事となった。

看護師や事務員たちが故郷へと戻り、最後の時を過ごしている今、私も今日を最後にこのクリニックを去る。

そんな私の元へ、神がやってきた。

「医者よ、今日までご苦労であった」

「勿体無いお言葉にございます」

「天使の面倒を一人で見るのはさぞ難儀なことであったろう」

「えぇ。色々なことがありました。私がまだ天界にいる頃の幼馴染、いえお恥ずかしながら幼馴染以上の気持ちを持っていた天使がここにやってきて、羽の除去を希望したことがありました。彼女は私に謝りながら手術を受けました。彼女は天使としての生ではなく、人間として、人間の男の元へと向かいました。彼女は手術の麻酔を拒み、痛みに耐えながら何度も何度も私に謝罪しました」

「そうか」

「はい。彼女は人間として幸せに暮らしているようですし、今では良い思い出ですが」

「ふむ。なぁ医者よ」

「はい」

「人間として生きるというのはどのようなものなのだろうな」

「想像も及ばぬことではございますが、実り多き人生を送りたいと思っています」

「そうだな」

「神よ。まもなくでございます」

私は神の羽を持ちながら言った。

神は、人間が到達する前に自らの存在を抹消することに決めた。

自らの羽を除去する為にこのクリニックへとやってきたのである。

神が羽を失えば、当然私たちも存在し得ない存在となる。

人間としての存在へ転化するのだ。

その最後の引き金を引く大役を仰せつかったのが私というわけだ。

「よろしく頼む」

「……」

「医者よ」

「はい」

「今まで大義であった」

そのお言葉を受け、私は神の羽を引き抜いた。

*****

ある病院の一室で、医者と患者が向き合っている。

なにかを思い出そうとするような表情をした二人だったが結局それは叶わず、医者の「お大事に」という一言で二人の時間は終わった。

医者にお大事にと言われたその患者は病院の外に出ると、まるでその世界を初めてみるような晴れやかな表情をしてから、雑踏の中へと消えていった。

(了)

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