小狐裕介の毎日SS

悲シミ

 仕事で疲れ、ふらふらと家路についていると「おねえさん、悲シミできちゃってるよ」と声をかけられた。

 声のした方を見ると、ギャル風の女の子が小さな椅子に座ってこちらを見ていた。

「え?」

 思わず返事をした私に、彼女は「ほら、見て」と鏡を向けた。

「え、嘘!?」

 私の顔に知らないシミができている。

 狼狽える私に彼女は言った。

「それは悲シミだよ。悲しんでいるとできちゃうシミ」

 そう言って鏡を引っ込めた彼女にイラッとする。

「そうやって何かを売りつけているわけね?」

 私は苛立ちを隠さずに言った。

 ギャル風の彼女が首を横に振る。

「売りつけてなんかないよ」

 それから彼女は「そんなことより」と目を輝かせた。

「おねえさんネイル興味ない!?」

 彼女がこちらに身を乗り出してくる。

「私、今趣味でネイルの勉強しててさー。ね、良かったら塗らせてくれない?」

 彼女はそう言うと、屈託のない笑顔を見せながら続けた。

「おねえさんには水色似合うと思うんだよね」

「でも、お金取るんでしょ?」

 私が言うと、彼女は笑いながらかぶりを振った。

「だから、とらないって〜!」

 私は少し迷ったけれど、塗ってもらうことにした。

「綺麗……」

 淡い水色に塗られた爪を見て、私は思わずつぶやいた。

「シミ、ちょっと薄くなったよ」

と彼女が笑う。

 私は彼女に言った。

「お金、払うよ」

 彼女が手を振って「だから、いいって」と断る。

「じゃあ……お腹空いてない? 何か奢らせて」

 彼女はう〜ん、とちょっと悩んだ様子で言った後、「いいの? じゃあちょっとだけ」と言って椅子から立ち上がった。

 それから私は彼女と一緒にご飯を食べながら色々な話をした。

 彼女とは全然価値観が違ったし、趣味嗜好も違ったけれど、話していてとても楽しかった。
 


 後日、また彼女に会いたいと思った私は彼女がいた路地に行ってみたけれど、彼女はもういなかった。

 彼女のような素敵な女性に出会えて私の悲シミはきっと減っただろう。

 淡い水色に輝くネイルを見つめてから私はその場を後にした。