私は準備をする前に明日の天気を確認した。
「よし、大丈夫そうだ」
一人そう言ってから、私は出かける支度を始めた。
いつからかはもうよく覚えていないが、妻の由美子は「私のお墓参りは雨の日に来てね」と言うようになった。
「なに縁起でもないこと言ってんだよ」
私がそう答えると由美子は冗談めかしたように笑っていたが、そのお願いはだんだん本気の口調になっていった。
「弱気なこと言うな」
私はそう由美子をたしなめたが、由美子は構わず「雨の日に来てね」と言い続けた。
何度も言うものだから、私はなぜ由美子がそんなことを言うのかを考えた。
由美子は六月生まれだから、昔からよく「雨が好きだ」と言っていた。
出不精な由美子は、「雨が降ると出かけなくてもいいから好きなの。お天気の日に家の中にいると、なんだか責められている気がするじゃない?」と笑っていた。
だから私に「お墓参りは雨の日に」なんて言ったのだろうか。
しかしそうではないことは、由美子が亡くなってからすぐに分かった。
由美子の墓参りに行くと、いつも自然に涙が出た。
散々仏壇の前で流した涙が、これでもかと流れ出てくるのだ。
そんな私の涙は雨が隠してくれた。
息子夫婦と一緒に墓参りに来た時も、傘に隠れて父親の顔を忘れ、由美子に会うことができた。
思えば、まだ由美子が生きている頃から、私はいつも由美子より先に泣いていた。
ペットのムギが死んだ時も、由美子の両親が亡くなった時でさえ、私が先に泣いていた。
由美子はいつも私の後に泣いた。
「お墓参りは雨の日に」
まさかそんなお願いが、私の為だったとは。
「どうだ、来てやったぞ」
墓石に声をかけながら、澄み渡った空を見上げる。
由美子の好きな花で作った仏花が空に映えている。
何十年も連れ添っておきながら、妻の奥ゆかしい優しさに間抜けなタイミングで気づいたものだ。
由美子は今、泣いているだろうか。
いや、きっと泣いていない。
由美子が涙を流すのはいつも人のためだった。
自分の為に泣かない人。それが由美子だった。
私が由美子の元に行った時、由美子は泣くのだろうか。
泣いている姿も、笑っている姿も、どちらも想像できる気がした。
「今度からは雨の日でも晴れの日でも構わずに来るからな」
私はそう言いたいことだけ言ってから、墓の前で手を合わせた。
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