清涼の歌姫

ショートショート作品
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「清涼の歌姫」の歌を聴きに妻とコンサート会場までやってきた。

 何でも、彼女の歌声を聴くと心が浄化されるらしい。

 清涼の歌姫のコンサートは大人気で、会場の外には違法にチケットを売るダフ屋がたくさんいた。

 僕は妻と一緒にコンサート会場に入って、コンサートが始まるのを待った。

 まもなくコンサートが始まり、清涼の歌姫の歌声が会場に響き渡った。

 その声を聞いただけで、すーーっと胸の中が澄み渡っていく。

 まるで体の中に清潔な風を吹き込まれているようだ。

 会場を出ながら、妻と「本当に良かったね」と話をした。

 すると、会場出口でいきなり一人の女性から「あなた達はいいよね!」と睨まれた。

 きっとコンサートのチケットが当たらなかった人だろう。

 僕たちは気を取り直して、会場近くのバーに入った。

 僕も妻も、ちょっとお酒を飲みながらコンサートの話をしたい気分だったのだ。

 バーに入ってみると、思ったよりも賑やかなバーだった。

 会話の内容から察するに、みんな清涼の歌姫のコンサートを聴いてきた人たちらしい。

 席について、妻と一緒に清涼の歌姫の歌声について話をした。

「本当に素晴らしい歌声だったよね」

「ほんと」

「でもなんだか、聴きに来ていた人たちは、パッとしてない人が多かったね」

「そうそう!」

「横に座ってたおっさんなんかさぁ」

 僕はハッとした。

 なぜこんなことを話しているのだろう。

 清涼の歌姫の歌声について話をしたかっただけなのに……。

 もしや、これは。

「出ようか」

 僕は妻の手を引いてバーを出た。

「どうしたの?」

 不思議がる妻に、訳を説明する。

「もしかしたら、彼女の声は僕たちを浄化してくれるわけじゃないのかもしれない」

「え?」

「浄化されるんじゃなくて、僕たちの重苦しいものとか、ドロドロしたものが、外に出ていくだけなんじゃないかな。そしてそれが歌声の届かない会場の周りに溜まっているんだよ」

 それは、そう、油膜の中心に洗剤を一滴垂らすと、中心は綺麗になるけどそれが周りに油膜が溜まってしまうように。

 先ほど、会場の外で「あなた達はいいよね!」と睨まれたことを思い出す。

 きっと彼女も会場から外に出てきた悪いものに当てられてしまった一人だろう。

 そしてさっき妻と入ったあのバーにも、会場の中から外に出た嫌な気持ちが、吹き溜まりのようにたまっていたのではないか。

 清涼の歌姫の歌声にはそんな秘密があることを、歌姫自身は知っているのだろうか。

 僕は、なんとなく彼女はそのことを知らないような気がした。

 それでも、自分の周りだけでも歌声で幸せにできるというのは素晴らしいことだ。

 誰も彼女を責めることなんてできない。

「でも、本当にそうだとしても彼女は何も悪いことはしてないよね」

 横にいる妻が僕が考えていることと同じことを言った。

「そうだね。僕にとっては、君のそういう言葉が彼女の歌声と同じような癒やしだよ」

 僕がそう言うと、妻は

「なに言ってるの」

と照れたのだった。

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