『内面を磨こう!』
会社のお昼休みにそんな雑誌の特集を読みながら「内面を磨くって、そんなのどうしたらいいのよ」と頭の中で独り言を言った。つもりだったのが思わず口に出していたらしい。
隣の席のマミに笑われてしまった。
「確かにね。内面ってどうやって磨いたらいいのか分からないよね」
「だよね〜」
「あ、でも私、一つ心当たりあるかも」
マミがそう言って教えてくれたのは”砥石丸”というよく分からないものだった。
「砥石って知ってるでしょ」
「あの、包丁とかを砥ぐやつ?」
「そうそう。普通の砥石は刀や包丁なんかを砥ぐんだけど、砥石丸は人間の内面を磨くためのものなの」
「へぇ……」
「こう、丸い丸薬でね、私も前に飲んだことあるけど、すっごく調子良くなったよ。試してみれば?」
マミがそう言って砥石丸の通販サイトを教えてくれた。
私は会社が終わって自宅に戻ってから、さっそく砥石丸のサイトをチェックしてみた。
マミが教えてくれた通り、砥石丸は人間の内面を磨く為の丸薬らしい。
砥石丸は特殊な成分で作られており、口から飲み込んでもほぼそのままの形で体外に、つまり便の中に含まれて排出されるらしい。
砥石丸を飲み込むと食道から胃、腸にかけて砥石丸が磨きをかけてくれる。
その結果として、デトックス効果が得られて内面から綺麗になれるというのだ。
私はさっそく砥石丸を試してみることにした。
注文する時に知ったのだが、砥石丸には種類があるらしい。
本物の砥石と同じ様に「荒砥石(あらといし)」「中砥石(なかといし)」「仕上砥石(しあげといし)」といった種類が用意されており、まずは「荒砥石」から体を磨いていって、最終的に仕上砥石で仕上げるのだという。
私はとりあえず「荒砥石」を試してみることにした。
注文から三日後、砥石丸が自宅に届いた。
透き通った綺麗な飴玉のような感じで、見たところ、普通の丸薬とあまり変わらない感じがする。
私はとりあえず一粒口から呑み下してみた。
なんだかゴロゴロとしたものが食道を下りていく感覚があって気持ち悪い。
でもサイトの説明によればそれこそがデトックス効果の現れなのだという。
砥石丸が胃に落ちて行く感覚があって、胃の中に何かごろっとしたものがある感覚にその日は悩まされた。
しかし翌朝、朝起きてトイレに行ってみると、その感覚はなくなった。
どうやら砥石丸が体外に排出されたらしい。
さすがに一回呑んだだけじゃ効果も何もないかなと思っていたのだが、なんと驚くことにすぐに効果は現れた。
いつも朝は食欲がなくて朝食を抜いているのだが、その日はなんだか朝からやけにお腹が空いて、しっかり朝食を食べた。
朝食をきちんと食べると頭がよく回って、仕事も捗ったし、なんだか肌のツヤもいい感じだ。
私は砥石丸の効果に気をよくして、砥石丸をこれからも飲み続けることにした。
最初は「荒砥石」の砥石丸を飲んでいたのだが、次第に砥石丸を飲んでも食道や胃でひっかかりを感じることが少なくなってきた。
荒砥石で磨ける分はあらかた磨けてしまったということだろう。
私は一つ段階を上げて「中砥石」を試してみることにした。
初めて中砥石を飲んだ時は、荒砥石の時と同じ様に食道や胃に強い違和感を覚えたが、だからこそ効き目があるようで、私は砥石丸を飲むことでどんどん健康になっていった。
そして最終的に「仕上砥石」を飲み始めた頃に、マミからこんなことを言われた。
「最近、本当に綺麗だよ」
「本当?」
「うん、本当に本当。ねぇ、今なら行けるんじゃない?」
「え?」
「遠山先輩にアタックしてみなよ」
遠山先輩というのは私が密かに好意を寄せている先輩男性社員である。
これまでは勇気が出ずアタックすることができなかったが、確かに今の私なら以前までの私よりも成功する確率が高い気がする。
「頑張ってみようかな……」
私がそうつぶやくと「行け行け!」とマミが背中をバンッと叩いた。
そして、私は思い切って遠山先輩を食事に誘ってみた。
なんと返事はOKだった。
私は一週間後の決戦の為に、さらに自分に磨きをかけようといつもの二倍の量の砥石丸を呑んだ。
容量は一日一丸となっていたのだが、遠山先輩との食事の前に少しでも綺麗になっておきたい……。
私は仕事中なんかも砥石丸を口の中で転がして暇さえあれば砥石丸を呑み下した。
もはや仕上砥石でもほとんどひっかかりを感じないくらい私の内面は磨かれていたけれど、それでも私は砥石丸を呑み続けた。
そんな長いようで短い一週間が過ぎ、私は遠山先輩と一緒に食事にやってきた。
レストランは遠山先輩が選んでくれたお店。
素敵なお店だった。
「じゃあ、乾杯」
遠山先輩とグラスを合わせてからお料理をいただく。
美味しい。
あれ、でも……。
「ちょ、ちょっと失礼」
私は最初の一品を口にした瞬間、便意に襲われて席を立った。
お手洗いを済ませて席に戻る。
「すみませんでした」
「いやいや、全然いいよ」
遠山先輩の笑顔に癒されながら、再びフォークを持つ。
しかし、一口食べたところでまた便意を催してしまった。
「ご、ごめんなさい、本当に!」
私は再び席を立った。
一体どうしたというのだろう。
私はお手洗いから席に戻りながら自分の体がおかしくなってしまったのではないかと考えた。
「大丈夫?」
そう声をかけられて顔を上げると、そこに遠山先輩が立っていた。
どうやら心配して見にきてくれたらしい。
「あ、だいじょう……」
と言いかけた途端、目の前が真っ白になって、私はバタリと倒れた。
目が覚めると病院のベッドだった。
「お加減はいかがですか」
そばに立っていたお医者さんに声をかけられる。
「ここは……?」
「病院ですよ。レストランで倒れられて運ばれたんです」
「そう、ですか……。あの、私……?」
「極度の栄養失調です。食事をほとんで召し上がられてなかったでしょう」
そんなわけない。食事はきちんと摂っていた。
あ、でも……。
「その、食べることは食べるんですけど、もしかしたら消化がうまくできていなかったかも、です……」
「ふむ。何かお薬を飲まれていませんか」
お医者さんはなんだかもう原因が分かっているように言った。
「砥石丸を……」
「ですよね。はっきり言って、飲み過ぎです。あれはね、体の内部を綺麗にする丸薬ですが、何事も程度が肝心。砥石丸を飲み過ぎると食道や胃、腸がツルツルになりすぎて、食べ物をしっかり消化できなくなるんです。レストランで食べたものも、食べたそばから出てきてしまっていたでしょう?」
確かにそうだった。
「はい……」
「気をつけなければいけませんよ。とりあえず点滴で栄養補給を行いつつ、食道や胃がまたちゃんと”荒れて”きたら流動食から試していきますからね」
お医者さんがそう言って部屋を出ていく。
そしてお医者さんと入れ替わりに遠山先輩が部屋に入ってきた。
「遠山先輩……!」
「気分はどう?」
「はい、平気です。もしかして……遠山先輩がここに連れてきてくれたんですか」
「うん、そうだよ」
「本当に、すみません。私……」
情けなく涙を流した私のことを、遠山先輩が「いいんだよ。食事はまた改めて行こうね」と慰めてくれる。
「遠山先輩、私、遠山先輩のことが好きなんです」
自分でもなんでそんなことを急に言い出したのか分からなかった。
驚いている遠山先輩を見ながら「好きなんです……」とまた言ってしまう。
どうしたことだ。
私はなんで自分がこんなことを言っているのか、理解できなかった。
しかし、さっきお医者さんに言われたことを思い出してハッとする。
「石丸を飲み過ぎると食道や胃、腸がツルツルになりすぎて、食べ物をしっかり消化できなくなるんです」
そうだ。
砥石丸は体の内部をツルツルにする薬だ。
私はそれを仕事中、舐めるように口の中でコロコロと転がしていた。
口の中だって体の中には変わりない。
砥石丸を飴みたいに舐めてしまった私の口は、どうやら滑りやすくなっているらしい。
カァッと顔が赤くなるのを感じた私のおでこに、遠山先輩の手が被さった。
「返事はまた、あの店でゆっくり食事をする時に」
意地悪な遠山先輩はそう言って笑ったのだった。
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