その日、俺は大学の友人である浩史と一緒にドライブに出かけていた。
あてもない真夜中のドライブ。
行先は適当に隣の県で有名な湖に決めていた。
取り留めのないくだらない話を二人でしていた時だった。
「あれ?」
運転手の浩史が首を傾げながら言った。
「どうした?」
「気のせいかな……」
浩史がハンドルを握ったまま黙り込む。
「いや、やっぱりおかしい!」
浩史が大きな声を出したので、俺は驚いた。
「な、なんだよ?」
「あれ見てみろ!」
「何?」
「あれだよ! 標識!」
浩史は道路にある標識を指差した。
そこには”○○湖まであと10km”という標識があった。
「あれがどうかし……」
俺はそこまで言いかけて、ようやくそのおかしさに気づいた。
浩史の運転する車は今も時速50kmほどで進んでいる。
しかし標識との距離がまったく縮まらないのだ。
まるでその場で車の車輪が空回りしているかのように。
「なんだよこれ、どうなってるんだ!」
浩史が叫ぶ。
「落ち着け、浩史!」
「で、でもよ」
「ちょっと、一回止まれ!」
俺がそう言うと浩史は車を止めた。
浩史が頭を乱暴に掻きながら言う。
「なぁ、これ夢じゃないよな」
「あぁ」
「どういうことなんだ?」
「一回、下がってみよう」
俺がそう言うと浩史は車をバックさせた。
だが……。
「だ、ダメだ」
バックしても標識との距離は変わらなかった。
まるで標識が俺たちを追いかけてきているみたいだ。
「どうなってんだ!」
「まさか、狸か何かの仕業なんじゃ」
「くそ、どうするよ!?」
「どうするって……」
俺は少し考えてから浩史に提案した。
「浩史は車の中で待っていてくれ。俺が標識のところまで行ってみる」
「行ってどうするんだよ?」
「狸かなんかだったら捕まえてやる」
「大丈夫かよ……」
不安そうな浩史を置いて俺はこっそり車から降りた。
運転席の浩史にうなずいてから歩道を超えて植え込みの影に隠れる。
標識は先ほどと同じ距離に立っていた。
身を低くして、植え込みの影を進む。
標識との距離が少しずつ縮まっていく。
そしてあと一歩で標識に飛び付ける距離まで来た。
「このぉ!」
俺はそう叫びながら標識に抱きついた。
すると標識がズボッと地面から抜けて、なんと二本足で立った。
そして標識はその体をバタバタと震わせて俺の腕から逃れるとドタバタと走り去っていった。
「な、なんだったんだ……」
振り解かれた拍子に尻餅をついていた俺は立ち上がって浩史の車に戻った。
浩史がため息をつきながら言った。
「なんだったんだ、あれ……」
「さぁね。やっぱり狸かなんかだったんじゃないのかな」
「狸ねぇ……」
浩史がエンジンをかけて車を発進させた。
なんとか無事目的地近くまで来た俺たちは近くにあった道の駅で休むことにした。
俺も浩史もなんだか疲れていた。
「俺、飲み物買ってくるわ。コーヒーでいい?」
俺がそう聞くと浩史はぐったりした様子で「頼む」と答えた。
夜中の道の駅は俺たち以外誰もいなくて、静まり返っていた。
もはや湖なんかどうでもいいなぁと思いつつ自動販売機でコーヒーを買う。
車に戻ろうと振り返った時、ポケットの中のスマホが震えた。
見ると、着信は浩史からだった。
「おい! どうなったんだよ! 早く戻ってこいよ!」
「はぁ?」
「おまえ、どこ行ったんだよ!?」
「どこって……」
俺はそう答えながら、背中に冷たいものが流れるのを感じた。
スマホの向こうで何事か叫んでいる浩史の声を聞きながら、俺は駐車場の方に目を向けた。
先ほど”浩史が”車を止めたはずの場所には大きな丸太が転がっていて、誰もいない道の駅は不気味に静まり返っていた。
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