僕にはある事業のアイデアがあった。
そのアイデアは日々大きくなって行って、ついに僕は会社を作ろう、起業をしようと考えた。
そこで僕は信頼できる先輩に相談をしに行ったのだけれど、その先輩はこんなことを言った。
「悪いことは言わない。起業する前に高坂先生に会っておけ」
「高坂先生?」
「そうだ。今持っている事業計画書を持って先生のところに行くんだ。起業はその後にしろ」
先輩は真剣な顔をしてそう言った。
僕は今すぐにでも会社を作りたかったのだけれど、他ならぬ先輩の言うことだからと、その先生を訪ねてみることにした。
先輩から教えてもらった事務所を訪ねると、そこは弁護士事務所のような建物の一室だった。
そして事業計画書を持って訪ねた僕を迎えてくれた高坂先生は、イメージしていた先生とはかなり違った。
社労士とか会計士とか、中小企業診断士とかそんな感じのスーツを着たおじさんが出てくるのかなと思っていたのだが、その人は白衣を着ていた。
おじさんであることに違いはないのだが、およそ場違いな格好をした高坂先生はこれまた看護師のような格好をした女性と共に僕の前に現れたのだ。
「こんにちは。話は聞いています」
高坂先生は笑顔でそう言った。
「はぁ……」
「ではさっそくですが、これから始めようと思われている事業の事業計画書をお見せいただけますか?」
「あ、はい。これです」
僕は鞄の中から事業計画書を取り出して先生に渡した。
「はい。こちらデータなどで原本はお持ちですね?」
「えぇ」
「承知しました。では早速始めさせていただきます」
先生はそう言うと一旦部屋を出て行った。
しばらくして戻ってきた先生は医療ドラマでよく見る水色の手術着を着ていた。看護師の方も同様で、二人ともマスクをつけている。
そして看護師さんは何やら色々な器具が載っているカートを押している。
僕の事業計画書の前に座った先生は「では始めます」と言った後、「メス」とつぶやいた。
「はい」
看護師さんが返事をしながらナイフのようなものを渡す。
あれは……やはりドラマでよく見るメスに似ている。
メスを持った先生はふぅっと息を吸い込んでから、おもむろにメスで事業計画書を切り始めた。
「え、え」
動揺している僕をよそに、先生がどんどん事業計画書をぶった切っていく。
事業計画書はあっと言う間にバラバラになってしまった。
大きな塊と短冊状に切られた紙とに分かれた紙を見ながら先生が言う。
「ルーペ」
「はい」
看護師さんが顕微鏡のようなルーペを先生の眼鏡に取り付けた。
先生はそのルーペで事業計画書の、もはや切れ端だが、そこに書かれた文字を見つめている。
「水!」
先生が突然叫んだので今度は事業計画書を水で濡らすのかと思いきや、先生は看護師さんが差し出したボトルから水をちゅーと飲んだ。
あ、それは普通に飲むだけなんだ……なんて僕が考えているうちに、先生は「せっし」だの「かんし」などと言って看護師さんから器具を受け取り、事業計画書をあれこれと切ったりなんかしていた。
「よし。縫合開始」
先生がそう言って極細い糸と針のようなものを持った。
そして先生はそれらをしゅるしゅると事業計画書の間を行ったり来たりさせた。
先生が手を動かすうちに、バラバラになっていた紙が元の紙に戻って行った。
先生は最後にパチンと糸を切って「縫合完了」とつぶやいた。
静寂。
「せ、先生……?」
僕が耐えかねてそう質問すると、先生は「手術は成功しました」と柔らかい声で言った。
先生と看護師さんは一度退室すると、元の白衣に着替えて戻ってきた。
先生は僕の前に座ると言った。
「事業計画書を解剖させていただき、無駄な部分を削ぎ落とさせていただきました。今ここにある事業計画書に則って会社を起こされると良いでしょう」
先生はそう言って僕に事業計画書を手渡した。
僕は先生から受け取った事業計画書に目を通した。
確かに、余計な記述などが大幅に減っているようだ。
さらには事業で使おうと思っていた最新機器などの記載も減っている。
これはより安価な設備でも同じ成果を得られるということだろうか。
僕は事業計画書を読み込みながら、確かに、なるほどと納得した。
だが……。
「あの、先生」
「はい」
「ここ……なのですが」
僕はあるページを指差して言った。
そこには、一緒に会社を起こそうと話をしていた宮下という男の名前が記載されていた。
しかし今はその名前がごそっと取り除かれている。
「はい。その方は……いずれ会社の経営にとって疾患となり得る方だと判断させていただきましたので切除いたしました」
「はぁ……」
僕はそう返事をして、宮下の顔を思い浮かべた。
高坂先生の事務所を後にして、僕は散々迷った挙句、宮下に話をした。
苦渋の決断だった。
当然宮下は怒り狂い、汚い言葉を僕に投げかけて、僕の元から去っていった。
当然だ。
僕はその痛みを胸に会社を起こした。
会社の監査役を高坂先生に頼むと、先生は快く引き受けてくれた。
それから僕の作った会社はなんとか売り上げを伸ばしていくことができた。
宮下は僕の元を去ってから、僕たちが考えていたものとまったく同じビジネスモデルで会社を作った。
しばらくは僕の会社の何倍もの売り上げを誇っていた宮下の会社だったが、ある時不祥事を起こして会社を解体せざるを得ない状況に陥っていた。
僕は個人的な資金で宮下の会社をサポートしたが、結局宮下の会社は倒産してしまった。
それからも、僕は折に触れ高坂先生に助言を求めた。
企画書から決算書まで、あやゆる書類を高坂先生に診てもらったのだ。
今ではしっかりとした基幹事業を持った会社に成長させることができた。
これも起業前にアドバイスをくれた先輩と高坂先生のおかげである。
だが、最近になって高坂先生が見えなくなった。
もう一ヶ月以上、顔を見ていない。
心配になった僕は先輩に電話をかけた。
「もしもし」
「あ、先輩」
「よう。順調そうだな」
「はい。おかげさまで。それで先輩、最近高坂先生にお会いしましたか? 実はもう長い間先生の姿を見ていなくて……」
「あぁ。高坂先生はな、どうやら意図的ではないんだが……脱税をしてしまっていたようでね。大変なことになっているようなんだ」
「えぇ!?」
そんなこと全然知らなかったので驚いた。
先輩は小さなため息をつきながら言った。
「まさに医者の不養生というやつだな」
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