夜の山に観客が集まってきた。
ここにはオーケストラのステージが設置されている。
観客は皆、厚着をしていた。
これからこの野外ステージでコンサートが行われるのだ。
僕は集まってくれた観客に挨拶をしてから指揮棒を握った。
立ち並んでいる楽器の前に奏者はいない。
指揮棒を振ると、びゅうと風が吹いた。
その風が、あるいは楽器の中を通り抜け、あるいはスティックを持って打楽器を鳴らし、音楽を奏でる。
僕は昔から風と戯れることができた。
まだ小さい頃、この山で口笛を吹くと、風が僕の口笛を真似したのだ。
誰も僕のそんな話を信じなかったけれど、おばあちゃんだけが「颯太は風と仲良くできるんだねぇ」と信じてくれたのだった。
それから僕は風の指揮者になった。
風で演奏をする僕を馬鹿にする人もいた。
「そんなのはトリックだ」と蔑む人もいた。
しかしそんな声は、僕が風と一緒にどんなオーケストラよりもいい演奏をすることで止んでいった。
指揮棒を止める。音楽が止んだ。
観客から僕たちに拍手が送られる。
僕が風と初めて出会ったこの場所で演奏ができてよかった。
それから僕は久しぶりに実家に帰った。
「いい演奏だったよ」
そう言って母が僕を迎えてくれる。母も演奏を聴きに来てくれていたのだ。
「お風呂沸いてるよ。入る?」
「うん」
僕は久しぶりに実家の風呂に入った。
疲れがゆっくりと解きほぐされていき、僕は思わず口笛を吹いた。
吹いてしまってから「やべっ」と慌てて口を塞ぐ。
しかし遅かった。
「こら、颯太! 夜は口笛吹かない約束でしょ!」
母さんの声が風呂の外から聞こえる。
「ご、ごめん」
まもなく、風呂に設置された換気扇の向こうから、びゅうびゅうと風の喜ぶ音が聞こえ始めた。
そしてそれはやがて大音量になった。
口笛を吹くのは、風に「好きに遊んでいいよ」と伝える合図なのだ。
翌日、僕は近所の人に「夜、うるさくしてすみませんでした」と謝って回った。
しかし近所の人はみんな「颯ちゃんが帰ってるんだって分かって、楽しかったよ」と笑って許してくれたのだった。
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