四月のある日、私はネックレスを持ってお寺にやって来た。
このお寺では、その人にまつわる品物を持っていくと、その人に関する思い出を風化させてくれるらしい。
人間だけではなく、ペットなどでも可能なのだそうだ。
思い出を風化させると、その人のことをゆっくりと忘れていく。
このネックレスは去年亡くなった彼にもらったものだった。
彼は「俺、一年の中でこの時期が一番好き」と言っていた、春風の吹き始める三月に亡くなった。
周りの誰もが彼のことは忘れたほうがいい、と言った。
そう心配させるほどに私は衰弱していたのである。
でも忘れられるわけがなかった。
時間が忘れさせてくれるよ、という人もいた。
しかし一年経っても、彼を失った悲しみの大きさが変わることはなかった。
そしてとうとう、一ヶ月ほど前の、この春初めての春風が吹いたその日に、私は自分で自分の命を絶ちかけた。
家族や周りの人にたくさん泣かれて、私はこのお寺にやってきたのだ。
「お願いします」
お寺の人にネックレスを渡した。
「お預かりします」
「……いけないことですよね」
「はい?」
「人のことを強制的に忘れるなんて。きっと、そんなことをされたら寂しいって思うはずです。裏切られたって思うはずです」
「……いいえ。本当にその方があなたを想っていたのなら、願っているのはあなたの幸せだけのはずです。それに……」
「なんですか」
「風化させるのは悪いことではないのです。それであなたが前を向けるなら」
あのネックレスと、彼の思い出は徐々に朽ちていくのだろう。
私はその夜、彼に謝りながら眠った。
***
「あっ」
私の声に彼が振り向く。
「どうかした?」
「ううん。今、懐かしい気持ちがしたなって」
「え?」
「そういう時ってない? ふとした拍子に何かを思い出すこと。今日は風が暖かいから気持ちいいなぁって思ったら何かを思い出したの」
「何かって、何?」
「分かんない。でも私、この時期が一番好きかも」
「いいよね、これくらいの時期」
「うん」
私は、唐突にこの風が好きだ、と思った。
どうしてそう思うのか、思い出そうとする私の頬を、暖かい風が撫でていった。
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