忘れたい記憶を忘れさせてくれるクジラがいるらしい。
言うなればクジラによる強制的な記憶喪失である。
私はそのクジラが現れるという海岸にやってきた。
そこには私以外にもたくさんの人が集まっていた。
それだけ忘れたい記憶のある人が多いということだ。
やがてクジラが現れた。
ざわめきが起こる。
クジラは私たちに見守られながらぷぁーーっと潮を吹いた。
すると、たしかに記憶の一部が消えた感覚があった。
私たちの記憶を乗せた潮がきらきらと海に消えていく。
噂は本当であった、と思いながら、なんとなく帰りがたく海岸を散歩していると、「しおや」という看板が目に飛び込んできた。
そこは古い掘っ立て小屋のような店であった。
私はちらりと中を覗いて、そこにいた主人らしき男に声をかけた。
「なんだい、ここは」
「へい、塩を売ってるんでさぁ」
「ほぉ」
「ここにある塩は、あのクジラのふいた潮から作ったんです。舐めると、他人の記憶を自分の物にできるんですよ。どうですか、一瓶」
私は興味本位で塩を一瓶購入した。
それから、この中に自分の記憶が混じっていなければいいが、と思いながら海岸をあとにした。
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