思い出の瞬間を封じ込めておける鈴があると聞いた。
その鈴は、封じ込めておきたい思い出に出会うまで鳴らしてはならない。
何か心に留めておきたいことが会った時、初めて鈴の音を鳴らすのだ。
すると、その鈴の音を聞くだけでその場面を思い出すことができるという。
私は様々な場面で鈴の音を鳴らした。
初めて添い遂げたいと思う女性と出会った時、その人に愛を告白した時、最初の子供が生まれた時……。
それらの思い出を、私はたまに鈴を鳴らして思い出した。
大切な思い出を内包した鈴は、大きな缶の入れ物に入れておいた。
缶の入れ物が満杯になりそうな頃、私は旅立とうとしていた。
息子ーー息子といってももう還暦過ぎだがーーが鈴を鳴らそうとする。
私はだいぶ前から、私が今際の際にいる時には鈴の音を鳴らして欲しいと頼んでおいた。
たくさんの温かな思い出を思い出しながら旅立ちたいと願っていたのだ。
だが私は、鈴を手にしようとする息子を制した。
「オヤジ……?」
不思議がる息子に、鈴の音はいらないという合図に少しだけ首を横に振る。
そう、いらないのだ。
私にとっていま最もふさわしいのはこの目の前の光景だ。
過去の思い出ではなく、息子や孫に看取られながら逝くのが最もふさわしい。
だんだん彼ら、彼女らの声が遠くなっていく。
そして私は最後に、チリン、という真新しい鈴の音を聞いた……。
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