僕にはコンプレックスがある。
それは「人にはっきり物事を言うことができない」ことである。
例えば”値切り”だ。
店員さんに面と向かって値切りをするなんて絶対僕にはできない。
あとは勧誘などを断るのも苦手だ。
こうした性質は会社員としての仕事にも支障が出るので困りものである。
日頃からそんなコンプレックスを意識していた僕は、遊びに行った友達の家にいた九官鳥が流暢に日本語を話すのを見てあることを思いついた。
そうだ、九官鳥を飼おう! そしてはっきり物事を言うことができない僕の代わりをしてもらおう!
そんな後ろ向きな思いつきである。
僕はさっそく九官鳥を求めペットショップに向かった。
我が家に九官鳥がやってきた。
僕は九官鳥に「ピーちゃん」という名前をつけ、さっそくピーちゃんに色々な言葉を覚えてもらうことにした。
まずは「値切り」である。
僕が「あのぉ……これって」と言うのをサインに、ピーちゃんに値切ってもらうことにしたのだ。
繰り返し言葉を言って聞かせることで、ピーちゃんはきちんと言葉を覚えてくれた。
僕が「あのぉ……これって」と言うとピーちゃんが『もっと安くなりませんか?』『他の店だともっと安くしてくれたんですよぉ』と僕の声で続ける。
完璧だ。
さらに僕はしつこい電話勧誘もピーちゃんに断ってもらうことにした。
合図はスマホを三回コツコツと叩くことにした。
僕が三回スマホを叩くとピーちゃんが『結構ですから、もう二度とかけてこないでください!』と僕の声で叫んでくれる。
完璧だ。
あとは実際に家に訪問してくる勧誘への対策だが、これは下駄箱に鈴を置いてそれを鳴らすことを合図にした。
チリンと鈴を鳴らすと『帰ってください!』とピーちゃんが一喝してくれる。
ピーちゃんがうちに来てくれたおかげで僕の生活環境は見違えるほどに向上した。
僕のストレスはピーちゃんのおかげで半減したと言っても過言ではないだろう。
だが僕がどんくさいのは相変わらずで、ある日僕は仕事でミスを連発してしまった。
一つ上の先輩である伊藤先輩がフォローしてくれたおかげで事なきを得たが、僕はあまりにもミスを連発するどんくささが自分で嫌になったのである。
「元気出しなって!」
伊藤先輩は女性の先輩社員なのだが、なぜだか僕によくしてくれる。
正直に言えば僕は伊藤先輩のことが異性として好きになりかけていたのだが、伊藤先輩の僕への好意は僕が後輩社員だからなのだと、ぎりぎりのところで踏みとどまっていたのである。
僕がミスをしたその日、伊藤先輩が飲みに誘ってくれた。
「ま、飲みなよ」
伊藤先輩はいつもの快活な笑顔で僕に言ってくれる。
僕は情けないやらありがたいやらでヤケになり、飲んだ。
飲んで、飲みすぎてしまった。
結局僕はよろよろになって伊藤先輩に介抱されながら駅まで歩くという失態を犯してしまったのである。
「仕事だけでもすごく迷惑をかけてるのに、僕は……情けないです」
そんな弱音を吐きながら歩く。
伊藤先輩が先ほどからずっと黙っているので、これは本格的に嫌われてしまったなと思っていたら、急に伊藤先輩に頬を両手で挟まれた。
と、その瞬間伊藤先輩の顔が近づいてきて唇を奪われる。
「あ、あの……これって」
「安い女だと思わないでね。君だから……」
『もっと安くなりませんか?』
突然僕のカバンに忍び込んでいたピーちゃんがいつもの”値切り”を開始してしまった。
しまった。”あの……これって”なんて言ったからだ。
『他の店だともっと安くしてくれたんですよぉ』
ピ、ピーちゃん!
僕が言い訳をする前に、伊藤先輩は怒って行ってしまった。
翌朝、会社は休みだったが僕は二日酔いでダウンしていた。
昨日の伊藤先輩への失態を思い出し、落ち込む。
あの事件で僕は完璧に嫌われてしまっただろう。
週明けの月曜日、どんな顔をして会社に行けばいいのか……。
そんなことを考えていると、スマホが鳴った。
なんと伊藤先輩からだった。
「も、もしもし」
「おはよう。昨日は飲ませすぎてごめん。ちゃんと帰れた?」
「あ、はい。あの、僕の方こそ昨日は本当に申し訳ありませんでした」
「……ふふ。酔っ払ってたんでしょ? 許してあげる。ねぇ、メッセのID教えてよ。電話だけじゃあれだから」
「は、はい」
僕はメッセンジャーアプリを立ち上げてIDを先輩に伝えようとした。
しかし緊張したせいか、スマホの画面をコツコツコツと三回タップしてしまう。
すかさずピーちゃんが言った。
『結構ですから、もう二度とかけてこないでください!』
終わった……。
慌ててスマホを耳に当てたが、先輩との通話は切れていた。
僕は二日酔いと精神的な疲れから今度は風邪を引いてしまった。
週明けの月曜日、なんとか出社して伊藤先輩に謝りたいと思ったのだが、そんなことをして風邪を移してしまうわけにも行かず、僕はしぶしぶ会社を休むことにした。
その日の夜、ベッドで横になっていると呼び鈴が鳴った。
何度も何度も鳴るので僕は仕方なくベッドを降りて玄関に向かった。
何も食べていないので体がよろめいてしまう。
なんとか玄関ののぞき穴から外を見ると、そこに伊藤先輩が立っていた。
「伊藤先輩……? なんで」
僕は朦朧としながら玄関のドアを開けた。
「こんばんは。風邪、平気?」
伊藤先輩がそう言って笑う。
「先輩……あの」
そう言いかけて僕はその場でよろめいてしまった。
と、よろめいた拍子に玄関脇に置いておいた鈴を鳴らしてしまう。
すかさずピーちゃんがやってきて『帰ってください!』と叫んだ。
「あ、ピ、ピーちゃん! ダメ……」
僕はピーちゃんを捕まえようとして玄関に倒れ込んだ。
「まったく、こんなことだろうと思った」
伊藤先輩が笑いながら僕を抱き起こしてくれる。
「え……?」
「だって、この子、君と声が違うんだもん」
自分でもそっくりだと思うのだが……。
「ほら、君は寝てて。おかゆぐらいしか作れないけどさ」
先輩はそう言って僕をベッドまで運んでくれた。
狭い部屋だが随分遠く感じるキッチンから、ピーちゃんの声が聞こえる。
『帰ってください!』
そうしきりに叫んでいる。
と、その声に伊藤先輩が「帰りませんよーだ」と答える。
うるさいはずのそんなやり取りを聞いていたら、僕はなんだか安心してしまい、寝てしまった。
起きると、すでに朝だった。
先輩はどうしただろう。
僕はふらふらの体でベッドを抜け出して台所に向かった。
するとそこに鍋が置いてあり、その脇にこんなメモがあった。
「おかゆ、作ったけどよく寝ているようだから置いていきます。鍵はオートロックみたいだからそのまま出ていくね。また会社で」
そのメモを見た僕は、思わず「伊藤先輩……」と一人つぶやいた。
するとピーちゃんが僕の声で『大好きー』と鳴いた。
ドキッとした僕はもう一度「伊藤先輩」とつぶやいてみた。
またしてもピーちゃんが『大好きー』と鳴く。
伊藤先輩が仕込んでいったのだろうか?
ピーちゃんの学習能力に改めて驚きつつ、僕はその鳴き声を聞きながら「確かにちょっと違うな」と思った。
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