僕は一人、人里離れた場所にある温泉にやってきた。
この温泉にはおかしな効能があるらしい。
温泉の入口にいた老齢の女性に入浴料を支払って温泉に入る。
温泉は露天風呂になっていた。
入浴は一人ずつしか許されていないので、今は僕一人だ。
温泉の温度はちょうど良い温かさで、僕は一人、長い息を吐いた。
湯から白い湯気が立ち上っている。
と、湯気の向こうに誰かがいるのが見えた。
噂は本当だったらしい。
そこにいたのは僕だった。
この温泉に入り、リラックスすると体から自分の自意識が現れる。
それがこの温泉の効能だった。
温泉に入ってリラックスしている僕とは対象的に、湯気の向こうの僕は険しい顔をしている。
僕は湯気の向こうの僕に声をかけた。
「なぁ、これからどうしたらいいかな」
すると、湯気の向こうの僕が答えた。
「そんなの聞かなくても分かってんだろ」
「でもさ、実際、辞めてもどうしようもないだろ」
「どうにでもなるだろ! いいか、限界なんだよ」
「そうかな」
「そうだよ。大丈夫なやつはこんなところまでやってきやしない。ましてや無断欠勤なんて、よほどのことがなけりゃするわけねぇって自分で分かるだろ。とっくに限界迎えてんだ」
「でも、怖いよ。会社を辞めてやっていけるかな」
「やれる。自分を信じろ」
「あぁ…………」
はっと目を覚ますと、温泉の入り口にいた老齢の女性が僕のことを覗き込んでいた。
「大丈夫かね?」
「あ……はい。あれ、どうしたんですか、僕は」
「湯あたりだよ。長風呂しすぎたね」
「あぁ……。確かに、ここのお湯は当たりが強いですからね」
僕は女性にお礼を言ってから、温泉を出た。
駅に向かって歩きながら、この気持ちを忘れないうちにとポケットからスマートフォンを取り出し、それから会社の番号に電話をかけた。
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