元は小説家志望だった。
しかし自分には物語を作る才能がなかった。
小説家の夢を諦めた私は、面白半分に自身のブログに「グルメノベル」を書き始めた。
「グルメノベル」とは私が考えた造語で、文章でいかに料理の旨さを写実的に現せるかという実験的な創作物だった。
元々グルメを気取っていた私は、趣味で味わった様々な料理の味を文章でリアリティたっぷりに書き綴った。
やがて私のブログは話題になり、念願の本まで出版する事ができた。
私の本は「読んでいると本当に味が口に広がるようだ」と話題になり、ベストセラーになった。
私は次々にグルメノベルを書き、本を出版した。
すると、奇妙な事が起こり始めた。
本の読者から「冗談ではなくあなたの文章を読むと本当に味がするようになった」という感想が複数届けられるようになったのだ。
SNS等で私の名前を検索すると、そうしたファンは思っている以上に多く、「本と白米だけあれば生きていける」と過激なコメントをするファンもいた。
執筆に追われる毎日を過ごしていると、こんなファンのコメントを見つけた。
「もうあなたの本無しでは生きていけません。早く新刊を出してください!」
最初は冗談かと思っていたが、こうしたコメントは日に日に増えていった。
「既刊本は何度も読み返しました。でも読めば読むほど味が薄れていくんです。お願いです。新作を書いてください!」
「あなたの本なしでは食べ物が喉を通らないんです。餓死してしまう!」
そう書いてきたアカウントはやせ細った自身の体を撮影した画像ファイルも一緒に送りつけてきた。
私は半ばノイローゼになりながら自室にこもって連日執筆を続けた。
朝から晩まで部屋に籠りきりの私のところに妻は食事を運んできてくれたが、食べている時間などない。
夜中になると妻が「あなた、少しでも何かお腹に入れないと……」と夜食を持ってきたが「すまない、時間がないんだ。そこに置いてくれ」とだけ返事をした。
「でも……」
とまだ妻が部屋の中でもたもたしていたので、つい
「出て行ってくれ! 執筆に集中できない!」
と追い出してしまった。
とにかく、早く書かないと。
私の作品には人の命がかかっている。
自分の命を削ってでも、作品を書いて読者に届けなければ……!
目を覚ますと、病院のベッドの上だった。
「あなた……!」
妻が泣きそうな表情で顔を覗き込んでくる。
「ここは……?」
「病院よ。働きづめで倒れたの」
妻の説明によると、私は栄養失調で倒れ、救急車で病院に運ばれたらしい。
腕からは点滴のチューブが伸びていた。
「……いかん!」
「動いちゃダメですよ」
私は妻の制止も聞かず近くの棚の上にあったスマートフォンを手に取った。
恐る恐るSNSをチェックする。
私の名前で検索してみたが、新刊を待ち望む声はなくなっていた。
まさか本当に餓死をしたのかと思ったが、そのアカウントは新しく興味の対象を見つけたようで、今も元気そうに発信を続けていた。
「……ふふ」
「どうしたんですか?」
「いや。……そんなものだよな、と思ってな」
「おかしな人」
***
「喉につまらせますよ!」
そんな妻の忠告を無視して口いっぱいにおにぎりを頬張る。
病院を退院した私は、妻に「君の握ったおにぎりが食べたい」と頼んだ。
妻の握ったおにぎりはこの世で一番うまい食べ物だ。
この味を文章に書いたらまたベストセラーになってしまうかもしれない。
いや……ならないな。
妻のおにぎりは隠し味があるからうまいのだ。
おにぎりを頬張る私を見つめる、妻の笑顔という隠し味が。
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