「うーん。こんな提案書じゃコンペ通んないよ。もうちょっと掘り下げてみて」
課長にそう言われ、僕はここにやってきた。
目の前に大中小、様々な大きさのシャベルがある。
今回はけっこう厄介な案件だからと、僕は大きなシャベルを手に持った。
僕の勤める会社には「掘り下げ場」がある。
まだこの会社に入社する前、会社案内でこの会社にやってきた時、シャベルを持って一心不乱に地面を掘っている人々を見て僕は悲鳴をあげそうになった。
「な、なんですか、これ」
そう驚く僕に、人事部の人は言った。
「ここは掘り下げ場です。弊社の仕事はクリエイティブな物が多いので、社員がじっくり物事を掘り下げて考えられるようにこのような場をご用意しております」
そこは学校の校庭くらいのスペースで、社員の人たちは無言で地面をシャベルで掘り進めていた。
「アイデアを得たい時には、机の前に座っているよりも運動して脳を活性化した方が良いのです」
そんな人事部の人の話を聞いて、変わった会社だなと思った。
同時に面白そうな会社だな、とも思ったのである。
僕はこの会社に入社してから、何回もこの掘り下げ場にお世話になった。
仕事で煮詰まるとこの掘り下げ場にやってきて汗を流す。
別に何があるわけでもないのだが、ひらすら地面を掘る。
地面を掘るという単純な作業をすることで、思考が研ぎ澄まされていく感覚。
僕は今日もこの掘り下げ場で提案書を掘り下げるべくシャベルを手に取ったのだ。
もうすぐ定時になるが、この提案書だけは今日中に形にしておきたかった。
(あの企画、根元は間違ってないはずだ。だけど、確かに課長が言うように相手を説得するにはもう少しアイデアが必要かもしれない。だったら少し違った側面から企画を訴求してみたらどうだろう……)
僕はそんな風に考えながらシャベルで地面を掘り進めた。
「よし……これだ!」
僕は自分で掘り進めた穴の中で思わずそう叫んだ。
提案書の角度をもう一段階あげる妙案。
それを思い着いたのだ。
さっそく内容をスマホにメモした。
ふとスマホの時間を見ると、もう夜の十時近かった。
いつの間にこんなに時間が経っていたのかなと思いつつ、僕はシャベルを置いて頭上を見た。
「……えっ」
僕の頭上にぽっかりと小さな穴が空いている。
その向こうには微かに星空が見えていた。
思考に集中するあまり、とんでもない深さまで地面を掘り進めてしまったらしい。
僕は慌てて上に登ろうと穴の壁を掴んだ。
しかし、穴を掘る時に体を酷使したせいか、手に力が入らない。
やばい。出られない。
「おーーーい!」
僕は頭上に向かって叫び声をあげた。
声が穴の中を反響する。
返事はない。
静寂があたりを包んでいる。
僕はスマホを手に取って、部署の電話番号に電話をかけてみた。
「頼む、誰か残っててくれ……!」
そう祈りながら発信音を聞いていたのだが、流れるのは「本日の営業は終了いたしました」という自動アナウンスのみ。
ダメだ。
僕は直属の先輩である宮本先輩に電話をかけた。
「はいはい」
「あ、宮本さん! 今どこですか!?」
「どこって、家だけど」
「あぁ……ですよね。あの、本当に申し訳ないんですが、会社に来てもらえませんか」
「は、今から?」
「はい。実は……掘り下げ場に閉じ込められちゃって」
「はぁ!?」
「すみません」
「分かった、すぐ行く」
僕が穴の中でへたり込んでいると、三十分くらいして頭上からサッと光が差した。
「おーい」
宮本先輩の声だった。
「宮本さん! ここです、ここ!」
「うわ、おまえどんだけ掘ったんだよ……待ってろ!」
宮本さんはそう言ってどこかからロープを持ってきた。
「これ垂らすから! 頑張って登ってこい!」
宮本さんの指示にうなずいて、僕はロープを手に取った。
「ぐ……くく……!」
僕は疲れ果てた体でなんとかロープを掴み、穴を登った。
「よし、もう少しだ!」
宮本さんが手を伸ばし、僕の体を掴んで引き揚げてくれた。
穴からなんとか生還した僕は、疲労のあまり地面に転がった。
「まったくもう、年に何人かはいるんだ、おまえみたいな奴が」
宮本さんが呆れたように言う。
「あの……すみませんでした……。今度埋め合わせします」
「いらんいらん。埋めるのは、それだけにしとけ」
宮本さんはそう言って、僕が穴を掘る時に積み上げた土の山を指差した。
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