「あ、この曲懐かしい〜」
会社の同僚が社食のテレビを見ながら言った。
「この曲合唱コンクールとかでよく歌ったよね」
「う、うん」
私はそんな風に曖昧な答えを返す。
私は合唱コンクールの話題が出ると、いつもこんな感じになってしまう。
というのも、どうも私が経験した合唱コンクールはみんなの物とは違うようなのだ。
あれは私が中学三年生の時だ。
合唱コンクールの時期が近づいてきた頃、担任の先生がこう言った。
「今年は絶対にスイカを割るぞ」
どういう意味かなと疑問を持った私たちに、先生はこう説明した。
その学校の合唱コンクールでは、歌を歌わない。
では代わりに何をするのかというと、クラス全員で可能な限り高い声を出し、コンクール会場に設置されたスイカを割るのだという。
今にして思うと、どう考えてもそれは合唱コンクールではない。
しかしその頃の私にとってはそれが初めての合唱コンクールであり、あの学校を卒業した人にとって合唱コンクールとは「スイカを割る競技」のことだった。
今でこそ「なんじゃそりゃ」と思うことができるが、学校や地域といった狭い世界にいるとそんなことに気が付けなかったりするのである。
さて、そんなわけでその日から合唱コンクールに向けての練習が始まった。
練習といっても、高い声を出す為の発声練習とか、肺活量を高める為の走り込みなどだ。
当たり前だが、歌は一度も練習しなかった。
しかし不思議な物で、歌を歌わない奇異な合唱コンクールだとしてもクラスみんなで団結して目標に向かうと楽しいものである。
実際、練習でワイングラスが割れた時はみんなで飛び上がって喜んだ。
ガラス製のものから、薄いプラスチック製のものへ。
各課題をクリアするごとに、みんなのボルテージが高まっていくのが分かった。
そしていよいよ合唱コンクール本番。
その日まで、練習でスイカが割れたことは一度もなかった。
「おまえたちは今日まで一生懸命頑張ってきた。自信を持て」
担任のそんな言葉に送られて、私たちは準備室で耳栓をして会場の舞台に立った。
「これより3年C組のスイカ割り合唱を行います。ご来賓の皆様におかれましては受付でお渡ししたヘッドフォンを着用になってご覧ください」
観客席の人々が一斉にヘッドフォンをつける。
係の人が、観客全員がヘッドフォンをつけたことを確認して合図を出す。
私たちは指揮係の生徒に視線を集めた。
そして指揮棒が振り上げられたと同時に思い切り声を出す。
耳栓を通じても、私たちクラス全員の高音が微かに聞こえてくる。
輪のように並んだ私たちの中央に置かれたスイカが、ブルブルと震えだす。
(もう少しだ……!)
私は声を限りに叫んだ。
しかし割れない。
スイカはブルブルと震えるだけで、割れなかった。
競技時間は3分。
クラスメイトの間でも諦めの雰囲気が漂い始める中、指揮係の生徒が指で「もう一度だけ頑張ろう」と合図を出した。
私たちは無言で頷き合い、指揮係の指揮に合わせて最後の力を振り絞って叫んだ。
スイカが今日一番の揺れを見せる。
私たち全員が、今できる全ての力で体を絞るように高音を出す。
その時だった。
スイカの震えが止まり、スイカが頂点からパカリと割れた。
(やった……!!!)
私たちは手を取り合って、その快挙を喜んだ。
スイカ割り合唱コンクールと言っても、実際にスイカを割ることができるクラスは学年で一つあるかないかだそうだ。
私たちは中学校最後の一大イベントで無事結果を出すことができたことを、お互いを称え合いながら噛み締めた。
そして耳栓を外した私たちに会場から大きな拍手が送られた。
それはまさに、割れんばかりの大拍手だった。
「ね、ぼーっとしてどうしたの?」
昼の社食で同僚がそう声をかけてくる。
「あ、ううん、なんでもない」
中学校の頃の懐かしい記憶を思い出していた私は慌ててそう答えた。
今でも当時のクラスメイトと会ったり電話で話したりするとスイカ割り合唱コンクールの話になる。
端から見れば、おかしな思い出だろう。
しかし私たちにとっては大切な青春の一ページなのである。
私はそんな、スイカのように甘く、気恥ずかしさでちょっと酸っぱい思い出をこれからも大切にしようと思いながら、社食のテレビを眺めた。
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