ある日、私が釣りをしていると、頭上にうろこ雲が浮かんでいた。
本物の魚のうろこのように空にたなびく白い雲を見ていると、本当に空に巨大な魚でも泳いでいるんじゃないかという気持ちになってくる。
その日の釣果はゼロ。それならば、と私は釣竿を海から引き揚げ、洒落のつもりで頭上に仕掛けを投げてみた。
「はれ」
私はそんな間抜けな声を出した。
釣り糸の先についた仕掛けが落ちてこない。
まるで空中に根がかりしてしまったように釣り糸が空に向かってピンと張っている。
まさか、本当に空の魚が食い付いたのだろうか。
それならばと私は腰を入れて竿を引き、リールを巻いた。
空の魚が釣れたらどうなるのか。
あのうろこ雲が消えて真っ青な空になるのか。
それとも空を丸ごと吊り上げて、いきなり夜になるのか。
私は渾身の力を持って竿を引いた。
その時、ぐんっと思い切り竿が引っ張られた。
「ほえっ」
またしても妙な声を出してしまいながら、私の体が空中に釣り上げられた。
やばい、竿を離さねばと思った時には、もう私の体は落ちたらただではすまない高さまで引っ張られていた。
「ひえぇえぇえ!」
私は誰にも聞こえないであろう叫び声をあげながら空に持ち上がって行った。
物凄い風圧に目を細めながら糸の先を見た私は驚きのあまり竿を取り落としてしまいそうになった。
空から巨大な魚の目がぎょろりと覗いている。
そして今、その口がぱかりと開けられ、私は魚に喰われてしまった。
空の青から一点、真っ暗闇に放り出された私は、ここが魚の体の中か、と思った。
頭でも打ち付けたのか、目の前がぐわんぐわんと回っている。やがて私は気を失った。
次に目を覚ました時にも、まだ私は暗闇の中にいた。
もしやここは空の魚のはらわたなどではなく、あの世なのではないか。
空に釣り上げられたあたりから私の意識がおかしくなっていて、本当は釣り場から足を踏み外して落ちたのではなかろうか。
私は真っ暗闇の中、どうすることもできずそんなことを考えた。
体力が回復して、なんとか這いずって移動をできるようになったが、いけどもいけども暗闇が晴れぬ。
よもや胃から腸へ、奥へ奥へと進んでしまっているのではないかと思い私は進むのを諦めた。
そうして、一日か二日ほど経った頃だろうか。
突然私が寝転んでいる地面、もとい魚のはらわたが消えて私は大きな滝を落ちているような感覚に襲われた。
とてつもない量の水が私と共に落ちていく。
私が魚に喰われた時とは違い、あたりが暗い。暗い空を落ちていく。
もう一体どうなるのやらと思いながら私が落ち続けていると、突然べしゃりと重力の感覚が戻った。
私は見知らぬ島の地面に横たわっていた。
まだ体の感覚がおぼろげて、手足を見ると先ほどまで水そのものであったようにその輪郭が揺れた。
なんとか体を起こして空を見上げると、暗い空の正体は雨雲であった。
私はそれからその島の住人に助けを求め、無事に家へと帰り着くことができた。
私が体験したあれはなんだったのだろうと調べるうちに、私はうろこ雲の後には必ず雨が降ることを知った。
であればもしかして私はうろこ雲の魚に喰われて、雲に取り込まれてしまったのではないか。
そして魚であった雲たちと一緒に地面に雨となって降り注いだ。
そんな馬鹿なとは思いつつも、そうとしか考えられまい。
とにかく私はもうお遊びで空に向けて竿を振ることはやめようと思っている。
それは別として、空にはそう言えばうろこ雲だけではなくひつじ雲もある。
もしや雲の羊毛なんか高く売れるのではないかと思い、私は干し草をとりあえず集めているのであった。
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