私は幼い頃、笛吹き荘によく遊びに行った。
笛吹き荘はおじいちゃんの別荘で、海がよく見える丘に建っていた。
私と同じく遊びに来ていた親戚の子たちと一緒に笛吹き荘の中を無我夢中で走り回ったものだ。
お母さんに聞いた話では、おじいちゃんは子供が大好きで、笛吹き荘は子供のために作られたらしい。
笛吹き荘にはいつも音楽が響いていた。
CDなどを流していたわけではない。
笛吹き荘そのものが音楽を奏でていたのだ。
笛吹き荘には壁や床など、ところどころに穴が空いており、海風が吹き込むとその風が音楽に変わるように設計されていた。
リズムはバラバラだったが、その音楽は私たちを楽しませた。
奏でられる音楽は私たちが幼稚園や小学校でよく耳にした童謡だった。
音楽に包まれながら遊び回る私たちを、いつもおじいちゃんは優しいまなざしで眺めていた。
そしておじいちゃんは椅子に座りながらいつも口笛を吹いていた。
それはおじいちゃんがご機嫌である証だった。
だけどおじいちゃんの口笛はあまり上手じゃなくて、笛吹き荘から流れる音楽の方がよっぽど上手だった。
笛吹き荘は私たちを楽しませる仕掛けで満ちていた。
本物の木が建物の中に生えていたり、その枝にブランコがくくりつけてあったり、二階の部屋同士をつなげる橋があったり。
しかし、私は大人に近づくに連れ笛吹き荘にはあまり行かなくなった。
きっと他のみんなも同じだったろう。
だから私はすごく久しぶりにこの笛吹き荘に立っている。
おじいちゃんが天国に行って、私がこの笛吹き荘をもらい受けることになった。
私たちがいる時はいつもにぎやかだった笛吹き荘が、今はしんと静まり返っている。
おじいちゃんは私たちが来なくなってからもここに来たのだろうか?
笛吹き荘はあの頃とあまり変わらなかったが、もう音楽は鳴らなかった。
きっと、音楽を鳴らす穴がふさがってしまったり、逆に広がってしまったりしたのだろう。
笛吹き荘の中に生えた木の落ち葉を払いながら、ここをどうしようかと考えた。
笛吹き荘は住むには向いていない。
夏は良くても冬に風が入り込むのは厳しい。
色々と考えたあげく、私はこの笛吹き荘を、近くにある幼稚園や保育園、小学校などに通う子供たちの為に開放することにした。
ブランコや橋など、必要な部分は修繕して、子どもたちに遊びに来てもらうようにしたのだ。
こうすればきっとおじいちゃんも喜んでくれるだろう。
子供たちは笛吹き荘に来るとみんなめちゃくちゃに走り回って、楽しそうに遊んでくれた。
私たちもきっと昔はあんな風だったのだろう。
子供の為に作られた笛吹き荘で遊ぶ子供たちを眺めていた私は、どこかから音楽が聞こえたような気がした。
笛吹き荘に吹き込む風が鳴らした音楽ではない。
それはどこか調子のずれた、あまり上手とは言えない口笛の音だった。
コメント