グルメリポーターをやっている友人から「食事に行かないか」と誘われた。
昔からうまいものが好きでついにそれを仕事にしてしまったような奴だから、さぞうまい店に連れて行ってくれるに違いない。
俺は胸を躍らせながら友人との待ち合わせ場所に向かった。
「とりあえずここに入ろう」
友人がそう言って入ろうとしたのは牛丼屋だった。
「おい、冗談だろ」
思わず俺がそう言うと、友人は「ま、いいからいいから」と言ってさっさと牛丼屋に入ってしまった。
もしかしてものすごくうまい牛丼屋なのかと思ったが、出てきた牛丼を食べても味は至って普通。
俺は心底がっかりしながら「じゃあな……」と帰ろうとした。
「おい、どこ行くんだよ」
そう言って友人が俺を止める。
「これからが本番なんだから」
「はぁ? もう腹一杯になっちまったよ。うまいうまい牛丼を食べたからな」
「いいんだよ。これから行く店はものすごく美味いものを出すけれど腹は膨れないからな」
何を言っているんだ、こいつは?
よく分からないことを言う友人に、俺はしぶしぶついていくことにした。
「ついた。あれだよ」
友人が指差した先には黒い、何やらおどろおどろしい門構えをした建物が建っていた。
「何の店だよ、これ……?」
「違う違う。こっち」
友人はそう言って隣の小綺麗な民家を指差した。
「ここって、ただの民家じゃないか」
「隠れた名店だからな。限られた人間しかこれないように、門構えは普通の民間になっているんだよ。さぁ入ろう」
そう言って友人は鍵を取り出し、民家の玄関を開けた。
俺は思わず「お邪魔します」と言ってしまいそうになりながら民家、もとい料理店に上がり込んだ。
なるほど、家の中は確かに高級料理店のような風貌で、ここが料理を食べさせる場所であることは間違いなさそうだ。
客は俺たち二人だけのようである。
「いらっしゃいませ」
店のマスターらしき人物が声をかけてくる。
友人と二、三言葉を交わすとマスターは俺たちを席に案内した。
テーブルにはこれからフランス料理のフルコースが始まるような雰囲気で食器が用意されている。
俺は牛丼で膨れた腹をさすりながら、友人に小声で話しかけた。
「おい。もう俺、あんまり入らないぞ」
すると友人が笑いながら「だから大丈夫だって。腹は膨れないから」と言った。
さっきから何を言っているのか分からない友人との友達付き合いをいい加減考えようかなと思っていた時、先ほどのマスターが料理皿を持ってやってきた。
「お待たせしました。こちら前菜でございます」
そう言ってマスターが俺と友人の前に皿を置く。
「……ん?」
俺は思わずそう言ってしまった。
「いかがなさいました?」
マスターにそう聞かれて俺は困惑した。
いかがなさいましたも何もない。皿の上には何も載っていないのだ。
「あ、大丈夫大丈夫。まだ説明してなくて」
友人がそう言うとマスターは合点がいったように「左様でございますか」と言って奥へと引っ込んだ。
「おい、どういうことだよ。なんだよ説明って」
友人にそう聞くと、友人は「ま、いいからいいから。食べようぜ」と言ってフォークを持って皿の上で何やらカチャカチャとやり始めた。
そして、そのままフォークを口に運んでいき「ん! こりゃうまい」と一人満足げに言った。
もしかして俺は、こいつにからかわれているのだろうか。
「おまえも食べてみろよ」
「食べる? 一体何を食べるって言うんだよ」
「いいからフォークを持って、皿に乗せてみな」
そう言われた俺は、もうここまで来たら徹底的に担がれてみるかとフォークを持って皿の上に乗せた。
「……あれ?」
フォークを持ったその手にかすかに感触があった。
何かが皿の上に載っている感触。
「そのままそれを口に運んで食べてみろ」
友人がフォークと皿を指差して言う。
俺は皿の上にある”何か”をフォークの上に乗せ、口へと運んだ。
「……! うまい!」
「ははは。そうだろう」
何かは分からないが、今まで食べたどんな料理よりも美味い物の味が口いっぱいに広がり、 食道を通り、胃に収まった。
「おい、何なんだよ、これは?」
俺がそう聞くと、友人はいよいよ種明かしとでも言うようにこう説明した。
「おまえが食べたのは”声”を加工したものだ。ここは声専門の料理店なんだよ」
「声を……?」
「そう。あのマスターは声を料理できる料理人でね。……と、ちょうどいい。あとはマスターから聞いてくれ」
マスターがテーブルにやってくる。
「マスター、さっきのは何の”声”?」
「先ほどの前菜は”辛口”になります。有名コメンテーターの方から声を提供していただきました」
友人とマスターの間で意味不明な会話が展開される。
友人が「マスター、こいつにちょっとここの料理のことを説明してあげてもらえる?」と言うとマスターは「かしこまりました」と言って、説明を始めた。
ここは”声”を調理して出す料理店なのだという。
なんでも、マスターには昔から声が物質のように見えたらしい。
みんなにも見えているものだと思っていたが、それはどうやら自分だけのようで、長らく秘密にしていたようだが、ある時「これを何かに使えないか」と思い立ったらしい。
そしてついに声を調理する方法(企業秘密だそうだ)を編み出し、その料理を客に提供し始めたそうだ。
声の料理は既存の料理とは違った美味しさで、瞬く間に店は繁盛店に。今ではこうして隠れ家的に限られた人間に声の料理を振る舞うようになったのだとか。
声の料理は姿形は普通の人間には見えないが、マスターには見えているらしい。
さらに声の料理は物質としては空気と同じなので旨味だけを味わうことができ、腹が膨れず、いくら食べても太ることはないらしい。
そんな点も人気の秘密なのだとか。
全く信じられないような話だが、しかし実際に先ほど”声”を食べた俺は信じざるを得なかった。
そこまで説明すると、マスターは前菜の皿を片付け、今度はスープ皿のようなものを持ってきた。
「”団欒”のスープでございます」
どうやらこれは家族団欒の声を料理したものらしい。
スプーンで何もないスープ皿の中身をすくって口に運ぶと、なんとも言い難いが、優しく、それでいて味わい深い、ほっとする味が口の中に広がった。
俺はすっかりこの”声の料理”の虜になり、それから出てくる料理を全てきれいに平らげた。
メインディッシュには「名声」と名のついた料理が運ばれてきて、ステーキのような重厚な味わいを持つそれは「喝采」のソースがかけられ、まるで自分が稀代の有力者になったような気持ちを味わった。
そして最後に出てきたデザートは濃厚な甘さで、それは「愛し合う男女の囁き声」が原材料となっているとのことだった。
俺と友人はフルコースをしっかりと平らげたが、何しろ食べたのは”声”なのだからやはり腹はまったく膨れていなかった。
「いかがでしたでしょうか?」
そうマスターに聞かれたので「いやぁ、どれもとても美味しかったです」と素直な感想を述べるとマスターは嬉しそうな顔で笑った。
「あ、そういえば」
俺はフルコースの中で唯一原材料の説明がなかった料理が気になって、そのことをマスターに聞いてみた。
「メインディッシュの前に出てきたあの料理は何を原材料にしているんですか? 刺激的で、どこか興奮を駆り立てられるようなそんなうまさでしたけど」
俺がそう言うと、マスターは友人の方をちらりと見た。
友人がゆっくり頷くとマスターはこちらを向いて言った。
「あれは”悲鳴”でございます」
「悲鳴……?」
「はい。人間が発する悲鳴、中でも女性の悲鳴には非常に刺激の強い旨味が含まれています。ただ、悲鳴はいつ発せられるか分からないので材料の確保が難しいのです。そこで当店ではすぐ隣に特別な施設を用意し、いつでも新鮮な悲鳴を手に入れられるようにしています」
そう言ってマスターはニヤリと笑った。
次いで友人が口を開く。
「ほら、おまえがここに来るときに見たあの黒い建物だ。あそこで女の悲鳴を採取しているんだよ」
友人はそう言ってくくっと笑った。
俺がここに入る前に目にした、あの黒い建物。あそこで、悲鳴を採取している……? 一体あの建物で何が行われているというのだろうか。
「気になるか? 気になるよな。見てこいよ」
友人はそう言うと低く笑い、それにつられてマスターも口元を抑えながら、またニヤリと笑った。
何か良からぬ雰囲気を感じ、俺は友人に言われた通り店を出て、隣の建物を確認しに行った。
女の悲鳴を採取する建物。
「この中で何が……?」
何かあったらこのまま逃げようと考えていた時、建物の中から女性の金切り声が聞こえてきた。それも複数の。
「! な、なんだ……?」
俺は思わず後ずさって、ポケットの中の携帯電話を握った。
この建物の中で、何かが行われている。
あの尋常ならざる声。
あの声の持ち主は……もしかして殺されてしまったのではないだろうか。
あれは断末魔で、この建物の中では日常的に殺人が繰り返されているのでは……。
俺がそんな恐ろしい想像をしていると建物の扉が開いて、中から二人組の女性が出てきた。
「あ〜怖かった」
そんな風に笑い合いながら去っていく女性たち。
狐につままれたような気持ちでその背中を見ていると、建物の中から顔を覗かせた男に声をかけられた。
「お兄さんもどうですか?」
「どうって……?」
「怖いですよ」
「なんなの、ここ?」
「何なのって、おばけ屋敷ですよ」
俺が店に戻ると、友人とマスターがニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。
「また担ぎやがったな」
俺がそう言うと二人とも大声で笑った。
楽しそうな二人につられ、俺も一緒になって笑う。
「大変失礼しました」と謝ったマスターは、ぜひまた店に来て欲しいと言った。
今度は声を材料にした酒を用意してくれるらしい。
材料は、いま俺たちがあげた”笑い声”だということだ。
笑い声は陽気な気分にさせてくれるので酒にするのが一番なのだそうだ。
自分の笑い声を飲むとは妙な気分だが、仕方ない。また来るとしよう。
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