(あの人……何かあるな)
僕は前を歩くサラリーマンを見てそう思った。
スーツはありふれたブラックのスーツだが、身につけたネクタイやバックがよくない”色”に見えた。
おそらく彼はこれから何らかの事故にあう。
それが軽微なものかそうではないのかは、僕には分からない。
しかし僕にはそれが間違いない未来だということが分かる。
僕には生まれつき特別な能力があった。
それは「色」から様々なことを読み取れるということだ。
嫌な色だな、と思うと必ず何かが起こる。
逆に「いい色だな」と思うと必ずなにか良いことが起きたりする。
色に載った感情を読み取ることも可能だ。
それは物に与えられた色(例えば車の色や花の色なんかに)からはもちろん、人間のまとっている色からも同じことができる。
今回のように「事故色」をまとっている人に出会うのは珍しいことではない。
前を歩くサラリーマンを見つめた。
予感は間違いないだろう。
しかし僕はあの人に声をかけることはしない。
そんなことをしても、ただの危ないやつだと思われるだけだ。
もちろん、過去に事故色をまとった人間に警告をしたことはある。
しかし誰も信じることはなかった。
むしろ「おまえが変なことを言うから」と事故に遭ったのを僕のせいにする人もいたくらいである。
だから僕は何も話さない。
サラリーマンは赤信号に変わりそうな横断歩道を小走りで通り過ぎていく。
どうか彼が無事でいますように、とその背中に向かって心の中で祈った。
その日の帰り。
僕は駅のホームで電車を待っていた。
スマホからふと目をあげると、近くで何人かが僕と同じように電車を待っている。
「……え?」
電車を待っている人々を見て僕は思わず声をあげた。
そこにいた全員が、事故色をまとっている。
ということはつまり、これから来る電車で何かが起こる、ということだ。
僕は電車待ちの列から離れ、後ずさった。
何人かが不思議そうにこちらを見る。
ホームに「電車がまいります」というアナウンスが流れた。
どうする……どうしたらいい?
電車を止めるか。
しかし、理由もないのに電車を止めたら、罰金を払うことになると何かで見たことがある。
何もできないうちに電車がホームに滑り込んでくる。
扉が開き、待っていた人々が電車に乗り込んでいく。
「……クソッ!」
僕は思わず電車に飛び込んだ。
席に座っている人たちを見る。
先ほどホームで待っていた人以外の、ここに来る前からこの電車に乗っていた乗客にも事故色が浮かんでいた。
やはりこの電車で何かが起こるらしい。
待てよ。
僕は一旦車両を移り、他の車両の人間の色を見てみた。
他の車両の人間の色は、特におかしなところはなかった。
ということは、この車両にだけ何かが起こるということだ。
今この車両にいるのは……十人ほど。
緊急停止ボタンを押して電車を止めることもできるかもしれない。
しかし罰金は嫌だ。
それに、この人数なら他の車両に移すこともできなくはないだろう。
でも、どうやって……。
仕方がない。
僕はここにいる人々の為に恥を捨てることにした。
「皆さん!」
突然大声を出した僕に、驚いた乗客の視線が集まる。
「この車両から移ってください! お願いします!」
そう呼びかける。
しかし……誰も動かない。
そりゃそうだ。
「お願いします! この車両から移ってください!」
僕は近くに座っていた女子高生に向かって頭を下げた。
「お願いします、お願いします!」
執拗に頭を下げる僕を不気味に思ったのか、女子高生が席を立って隣の車両に移ってくれた。
「ありがとう!」
僕は女子高生に頭を下げ、続いて、近くに座っていた中年女性にもお願いをした。
そうやって一人一人に声をかけていくと、自発的に車両を移る人も出始めた。
僕のことを危ないやつだと思って逃げたのかもしれない。
それならそれでいい。上等だ。
僕はどんどん車両から人を遠ざけていった。
しかし……。
「なんだおめぇは!」
老人と中年の間くらいのおじさんが、僕に向かって言った。
大声を出されてひるみそうになるが、いつこの車両に事故が起こるのか分からない。
僕はおじさんよりも大きい声で言った。
「お願いです! この車両から出てください!」
「嫌だよ」
「お願いします! この通り」
僕は頭を下げるが、おじさんは頑としてゆずらない。
仕方ない……!
僕はおじさんの腕を掴んだ。
「なんだ、おい、やめろ!」
「お願いします! お願いですから」
我ながら、こんなやつがいたら怖いよなぁ……と思う。
「離せ、馬鹿野郎!」
「離しません!」
おじさんとそんな押し問答をしていた時、電車がガタンと大きく揺れた。
やばい……!
「は、早く!」
「うるせぇ、離せったら——」
そう言っておじさんが僕の腕を振りほどこうとした時、電車が何かに乗り上げたように縦に揺れ、続いて横にも大きく揺れた。
「うわぁあっ……!」
衝撃で浮かび上がったおじさんが、叫び声と共に僕の上に降ってくる。
「むぎゅ!」
つぶれたおもちゃのような僕の声が聞こえ、やがて目の前が暗くなった。
「……?」
目を覚ますと、病院だった。
「あんた、大丈夫?!」
母さんが僕のことを覗き込んでいる。
「あ、母さん……」
「良かった……」
安心した様子の母さんに、何が起こったのかを聞いてみる。
どうやらあの電車は倒木に乗り上げて脱線し、あの車両だけが横倒しになったようだ。
「あ……」
そういえば、あのおじさんはどうなったのだろう。
体を起こそうとした時、ベッドの横にある花瓶に花が活けてあるのが見えた。
「あぁ、そのお花。それね……」
「うん、いい。分かるよ」
僕はそう言ってまた枕の上に頭を下ろした。
あの花はおじさんが持ってきたものだろう。
色とりどりの花からは「ありがとう」「すまない」など、あの頑固そうなおじさんらしい、ちょっと不器用だけどまっすぐな感情が読み取れた。
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