無類の酒好きである私は飲み仲間から会員制のバーを紹介してもらった。
なんでも、普通の酒では満足できなくなった人間が行く場所らしい。
そのバーはいつも飲みに行く界隈の、もう一つ奥の路地にあるらしい。
このあたりにバーなんかあったかなと思って歩いていると、ひっそりとした門構えの店を見つけた。
店の中に入ってみると、そこはごく普通の立呑居酒屋に見えた。バーには見えない。客も一人もいなかった。
あれ、あてが外れたなと思いながら私が「紹介されたのですが」と店の主人らしきおじさんに声をかけると、くいっと指の動きだけで奥の部屋を案内された。
よく分からずに部屋のドアをくぐってみると、なるほど、そこにバーがあった。
先程の立呑居酒屋は隠れ蓑だったらしい。
バーにも客は見当たらず、私はカウンターに腰掛けた。
カウンターの向こうに一人立っているバーテンダーさんに「何にしましょうか」と聞かれたが、何しろ初めての店なので勝手が分からない。
「おすすめはありますか」
と聞くと、バーテンダーさんはシェイカーを振って一杯のカクテルを出した。
見た目は普通のカクテルである。
私はグラスを手に取り、一口飲んだ。
お……これは?
ピリッとした独特の旨味があった。
なんだろう、味わったことのない味である。
「お客様、こちらは初めてでしょうか?」
バーテンダーさんにそう聞かれる。
「えぇ」
「では少し説明をさせていただきます。こちらではある特殊なお酒を提供しております。それは”電気を帯びた酒”、エレクトリックリカーと呼ばれるお酒です」
「電気を帯びた……?」
「えぇ。特殊な製法を用いて酒に電気を注入しております。”リカー”とは通常アルコール度数の高い蒸留酒を表す単語ですが、電気を通したお酒はアルコール度数に関わらず刺激が増すものですからそう呼ばれています」
「へぇ……初めて聞く言葉です」
「ここでしか提供しておりませんので、お酒好きな方でもご存知なのはごく一部です」
「なるほど」
「お酒に電気を通しますと、電子の働きで本来持つお酒の旨味が再構成され、より上品な味わいになります」
私はバーテンダーさんの説明を受けながら、グラスに口をつける。
ピリッと一瞬走る刺激がなんだかくせになるうまさである。
「今お客様にお楽しみいただいているカクテルは通常の家庭用電源から採集した電気を使用しておりますが、他にも静電気や自転車で発電した電気など、色々な電気を注入したお酒を楽しむことができます」
興味をそそられた私は、それらのお酒も楽しんでみることにした。
静電気のカクテルに口をつける。
それは先程よりも弱い刺激だったが、どこか懐かしい口触りだった。初めてなのに突き放すことのない、初心者でも楽しめる味。
一方で、自転車で発電した電気を通したカクテルはどこか泥臭い力強さを感じた。一口飲み下すと、喉から胃へグッと力のある味わいが駆け抜ける。これもまた違った刺激で面白い。
ここで口にする酒はどれもが新鮮で、どこか知り尽くしたような気になっていた酒の懐の深さ、奥深さを知ったような気がした。
いい酒は人を饒舌にする。
「親父が酒好きでね。すっかり一緒になってしまったよ」
私は一回り以上年下のバーテンダーさんに素の自分をさらけ出してしまった。
「そうなんですね」
「うん。昔は苦手だったんだけどなぁ、親父。死んだ時も、あぁ逝ったんだって。それだけ。でも酒を飲んでいる時はいつでも親父を思い出すよ。数少ない親父との思い出を肴にいつも飲んでる」
バーテンダーさんはこちらに必要以上の声をかけることはせず、それがまた居心地がよくて、私は閉店時間までついつい長居をしてしまった。
「すみません。つい長居をしてしまって」
私がそう言ってカウンターの席を降りると、バーテンダーさんが迷ったような表情をしてから「店で出すかどうか迷っているお酒があるんです。よろしければ試飲をしてくださいませんか」と言った。
私はもう一度席に座り直して、バーテンダーさんの振るシェイカーを見つめた。
出されたカクテルは濃淡のはっきりしない、なるほどまだ完成されていないような見た目をしていた。
ここで出されたどのカクテルよりも未完成さを感じさせる。
それは酒のせいではなく、シェイカーを振るうバーテンダーさんがそうさせているように感じられた。
「どうぞ」
バーテンダーさんに促されて私はグラスを持って一口飲んだ。
ん……これは。
ガツンと殴られたような衝撃。だが、そのあとに懐の深さを感じさせるように優しい味が広がった。
不器用だが、うまい。
私がそのままの感想を口にすると、バーテンダーさんは言った。
「実はこの店を出す時に親父と喧嘩をしまして。親父はこの店を出すことに反対だったんです。親父は銀行マンで、堅い商売を好む人ですから。今でも実家に帰るとどやされるんです。ちゃんとやっているのかって。そのお酒は親父が僕に落とす”雷”を採集して作ったお酒です」
僕、と年齢相応の呼び方で自分を呼んだバーテンダーさんを心配する父親の姿を見た気がした。
「作ってみたはいいんですけど、自分じゃよく味が分からなくて」
そう言ってはにかむバーテンダーさんに、私はもう一度言った。
「美味しいよ。口当たりは強烈だけど、でも、懐の深い、優しいお酒だ」
「そうですか……ありがとうございます」
ポーカーフェイスを崩したバーテンダーさんと語らいながら、私はこの最上のカクテルをゆっくりと楽しんだ。
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