無重力海岸入学試験

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 アメリカのある州に一年に一度だけ無重力状態になる海岸があるらしい。

 その日、海岸に立つと体がふわりと浮いて、無重力状態を体験ができるというのだ。

 なんとも不思議な話ではあるが、僕はその海岸について、多分普通の人とは違う形で興味をもっていた。

 なんでも、その日、その海岸では宇宙飛行士候補生育成学校の入学試験が行われているそうなのだ。

 もちろん公にではなく、裏で、という意味だが。

 著名な宇宙飛行士であるピーター・ロビンが雑誌のインタビューで「あの海岸で楽しく宙返りを楽しんでいたらスカウトされたんだよ」と話したことで一躍その噂は有名になったのだ。

 僕は次に無重力が発生する日に必ずその海岸に行ってやろうと思っていた。

 だが、そのことを母さんに話したら「絶対ダメ」と釘を刺されてしまった。

 でも、母さんに何を言われようと僕は絶対に行ってやろうと思い、高校生OKのアルバイトを始めた。

 数ヶ月をかけて自力でアメリカへの渡航費や滞在費を稼いだ僕は改めて両親に言った。

「父さんや母さんがなんと言おうと俺は行ってくるから。それで育成学校に入学できることになったら、俺、その学校に行くよ」

「勝手なこと言って。学費はどうするのよ?」

「アルバイトでもなんでもして稼ぐさ」

 僕がそう言って席を立とうとすると、それまで押し黙っていた父さんが「待ちなさい」と僕を呼び止めた。

「何?」

「本気なのか」

「当たり前だろ」

「……分かった。合格したらその学校に行ってもいい」

「ちょっと!」

 母さんが父さんに抗議するが、父さんは僕を静かに見つめながら言った。

「ただし、合格したら、だ」

 僕は黙って頷いた。

 そして僕は単身アメリカに渡ったのだった。

 海岸近くのコテージに泊まった僕は、翌朝海岸に向かった。

 コテージに宿泊している客はみんな海岸で発生する無重力を体験しに来ている観光客なのだ。

 家族連れやカップルなんかと一緒に僕は海岸の砂浜を踏んだ。

 何も起きない。

 もしや噂は嘘だったのか? なんて思ったが、しばらくすると海の波が一瞬、止まった。

 そして次の瞬間、海の上を風が走ってきて、砂浜をなでる。

 風に乗るようにして、僕の体が宙に浮いた。

 そこら中で歓声が上がる。

 来た。

 子供から大人まで、たくさんの人の笑い声に包まれた砂浜で、僕は無重力状態の中で必死に姿勢制御を行った。

 もちろん無重力を体験するのは初めてなので、練習なんかしてきていない。

 僕は手足を必死にばたつかせて姿勢を直そうとした。だが、うまくできない。

 僕は無様に無重力の砂浜に漂いながら辺りを見た。

 ここにいる人々の多くはレジャーとしてこの無重力を楽しんでいるだけだが、中には真剣な顔をしている者もいた。

 僕と同じく宇宙飛行士候補生育成学校への入学を狙う者だろう。

 皆、無重力状態の中で器用に宙返りをしたりして、どこかから見ているはずの試験官にアピールしている。

 僕は焦ってなんとか姿勢を立て直そうと思ったが、結局わたわたと砂浜の上を漂うだけになってしまった。

 見ると、一人背の高い白人の青年だけが真剣な顔をしながらも僕と同じようにわたわたと手足をばたつかせていた。

 結局、僕は砂浜の無重力状態が終わるまで、ただ溺れているように手足をバタつかせることしかできなかった。

 無重力状態が終わり、海で遊び始める人々を横目に、僕はすごすごとコテージに退散した。

 両親にあれだけ大見得切って日本を飛び出したのに、結果は散々だった。

 あれでは試験に合格するわけがない。

 僕はすっかり意気消沈してコテージのベッドに横たわった。

 はっと目を覚ますと、すでに夜になっていた。

 コテージの窓から人気のなくなった海岸が見える。

 ふと目を上げてみると夜空に見事な星空が広がっていた。

 僕はコテージを出て海岸に向かった。

 外に出ると、より一層星がくっきりと空に浮かんでいた。

 砂浜に腰を下ろそうと思った僕は、同じように砂浜に座り込んでいる人影を見つけた。

 それは、昼間僕と同じように無重力状態で手足をばたつかせていた青年だった。

 僕はなんとなく彼に声をかけた。

 彼は「ニッキー」という名前だった。

 僕たちは並んで砂浜に座って星空を眺めたが、お互い宇宙飛行士育成学校の試験のことは言わなかった。

 二人とも自分が落ちたことを分かっていたからだ。

 僕たちは順番に星を指差しながら、星の話をした。

 ニッキーも僕も星が好きだった。

 僕は小さい頃から星を見てきた。

 宇宙にこんなにたくさん星があると知っておきながら、なんでみんな宇宙飛行士になりたいと思わないのか不思議だった。

 僕がそう言うとニッキーは「僕も同じことを考えていたよ」と笑った。

「必ずまた会おう」

 ニッキーはそう言って僕に握手を求めた。

 僕にはそれが、裏の試験ではなく、正規の試験で受かって一緒に学校へ通おうというメッセージに聞こえた。

 日本に帰国した僕は、まるで気が抜けたようになってしまった。

 アメリカに行こうと決意してから、ニッキーと星空を見て帰国するまでの濃密な時間がずっと昔のことのように思える。

 ニッキーは今どうしているだろうか。

 宇宙飛行士育成学校の正規試験はまだ半年以上も先だった。

 ベッドに寝転がりながらぼんやりしていた僕に昼食を作っているらしい母さんが「ちょっと、出てー!」と大声で言った。

 どうやら郵便局の人が来ているらしい。

 僕はのそりとベッドから起き上がって玄関に向かった。

 郵便局員さんから封筒を一つ受け取る。

「ん……?」

 そこには英語で僕の名前が記してあった。

「えっ」

 僕は慌てて封筒を持ちながら部屋に戻った。

 後ろから「ねぇ、なんだったー?」という母さんの間延びした声が聞こえた。

 僕は部屋に戻ると封筒を開けた。

 英和辞典を片手に翻訳すると、こんなことが書いてあった。

「タケウチ ナオト様。無重力状態における貴殿の動きは改善の余地があるようですが、それは訓練によって必ず克服できます。宇宙飛行士を目指すにおいて訓練生段階で最も重要なのは宇宙への好奇心です。あの砂浜は無重力の不思議のみならず、有数の星の観測スポットとしても知られています。あの場所で星を見上げずにはいられないような方を私どもは本校に迎えたいと願っています。貴殿さえよければぜひ本校へお越しください」

 手紙を読む手がつい震えてしまう。

 ということは、ニッキーも一緒に……!

 そんな僕の希望は手紙の続きであっさりと打ち砕かれた。

「なお、今回の合格者はあなた一人です。ナオト、一緒に宇宙を目指しましょう。嘘つきな君の友人、ニッキー・バレンタイン試験官より」

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