私の住む町には「月夜館」という館がある。
月夜館は丘の上に建っている。
この月夜館にはある昔話があるのだ。
昔、月夜館にはまだ人が住んでいた。
その月夜館の主人が病を患い、寝込んでしまった。
使用人が呼んだ医者が処置をし終えると眠っていた主人は目を覚まし、「誰が医者なんか呼んだんだ!」と怒鳴って医者を追い返してしまった。
「二度と来るな!」
ものすごい形相でそう言われた医者だったが、それでも尚、何度か月夜館を訪れようとした。
しかし厳重に門は閉ざされていた。
とうとう医者も「もう知らん!」とさじを投げた。
ある、月夜の晩。
月夜館の主人の元へ一人の女性看護師がやってきた。
主人はその女性を見てはっとする。
それは主人が昔添い遂げようとした女性だったからだ。
女性は看護師をしていたが早くに亡くなってしまい、主人の願いは叶わなかった。
女性看護師が主人の腕につながっている点滴を取り替える。
「やらなくていい。私はあなたの元に行きたいのだから」
主人はそう言うが、女性は微笑みだけを残し去っていった。
それから、月の出る晩は必ず女性看護師がやってきて処置をした。
主人は、女性が生前「月が好きです」と言っていたことを思い出した。
ある月のない夜。
月夜館の主人はいよいよもう逝こうと点滴の管に手を伸ばしたが……その手は管を通り過ぎ、電話の受話器を掴んだ。
「……あぁ、あぁ。すまなかった。来てくれるか」
やがて医者がやってきた。
医者は主人の姿を見て大いに驚いた。
てっきり、とうに亡くなっていると思っていたからだ。
主人の治療を行う器具は完璧な処理がなされている。
主人は医者に言った。
「また来てくれ。ただし、月のない晩だけでいい」
長い時が過ぎて、やがて主人も天に旅立った。
それから月夜館には、月の出る晩にだけ窓際に立っている二人の姿が見えるようになった。
二人は寄り添うようにして夜空を見上げているという。
この町に住む者なら誰もが知っている話だし、二人の姿を誰もが一度は見ている。
しかしそんな二人のことを誰も恐れはしないのだった。
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