突如、日本海海域に”ドーナツ海溝”と呼ばれる海溝が出現した。
ドーナツ海溝は丸い海溝であり、その真ん中が穴を開けたように暗く、一体どれほどまでに深いのか分からない、そんな不思議な形状をしていた。
ドーナツ海溝の謎を探る為にその暗闇に入っていった探査艇は一瞬でレーダーから消え、二度とその行方は分からなかったという。
命知らずのダイバーたちがドーナツ海溝に挑んだが、やはり誰一人として戻らなかった。
かの有名なバミューダトライアングルよりも悪しき海域ということで人々から恐れられる事となった。
僕は今、そんなドーナツ海溝に向かっていた。
「もう終わりでいいや」
そんな風に考えている時にドーナツ海溝が現れたのは運命だったと考えている。
ただ自分で自分を殺すよりも、ドーナツ海溝がどうなっているのか、それを知る方が面白いと思ったのだ。
ドーナツ海溝は危険な海域ではあるが、陸地ではないので見張りなどはいなかった。
僕の乗った小型船はドーナツの縁を乗り越え、ドーナツ海溝、その真円の暗闇に侵入した。
ふと気がつくと、僕は見慣れない場所にいた。
いや、例えるならばここは「昔の地球」だった。
辺り一面緑に覆われている。
外国なのか……?
「やぁ、ようこそ」
突然そんな声をかけられて、僕は驚いた。
振り向くと僕と同い年くらいの男の子がそこに立っていた。
「ここはドーナツ星人の星だよ」
「ドーナツ……星人?」
「そうさ。君、ドーナツ海溝に入ったんだろう」
「あ、あぁ」
「あのドーナツ海溝はこのドーナツ星につながっているのさ。人だけじゃないよ。熱や空気なんかも地球のものが転送されてきている」
「……」
僕は辺りを見渡した。
ここがどこか別の惑星で、ここにあるものは地球から来たものなのか。
「ここって……どこなんだ。本当に地球じゃないのか」
「違うよ。ここは、僕たちが”土星”と呼んでいた星だ」
「土星!? そんなバカな。土星の気温がこんなに適温なわけがない」
「じゃあ聞くけれど。君は土星に来たことがあるのかい?」
「はぁ? ……いや、ないけど」
「じゃあなぜ土星の気温について知っている?」
「それは……習ったから」
「そう。人に教えられたんだろう? だったらそれが正しいという証拠は何もないわけだ。土星の中身がどうなっていようと、誰かに嘘をつかれたらそれを信じてしまう。君が信じている土星についての知識は、カモフラージュだ」
「そんな……ことが」
「受け入れるも入れないも、君の自由だ。ここでは何をしようが自由だからね。君の前にやってきたダイバーの人なんかは好奇心旺盛だから今頃どこかを探検して勝手に楽しんでいるよ」
「もう地球には帰れないのか」
「帰れない。でも、ここも良い星だ。じきに気に入る。好きなことをして過ごせばいい」
「君はなぜここにいるんだ?」
「僕は、地球からドーナツ星に来た人を案内したい、と思ったからここにいる。深い意味はないよ。あとはまぁ、英語をしゃべれるんで、僕がいたらいいかなって思ったから、かな」
彼はそう言うとにこりと笑った。
彼と別れた僕は一人で考えた。
未開拓な地球。にそっくりなこの星。
この星で僕は何をしよう。
そこで僕は初めて、地球で僕は死ぬつもりだったことを思い出した。
しかしこのドーナツ星に来てからそんなことはすっかり忘れている自分に気がつく。
何をしよう。何でもできる。
僕はこの空洞から出来た空白の世界を歩き始めた。
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