私は窓から外の景色を眺めた。
小高い丘にあるこの診療所からは島を囲む海がよく見える。
診療所で医者をしている私はこの窓から見える景色が好きだった。
あの海を見る度、私は「釣りに行ってみたいな」と思う。
しかし診療所での診察が忙しいのと、それとはまた違う理由で私は釣りに出かけることに気後れしていた。
この島に住む島民は皆漁師で、仕事で魚を獲っている。
そんな中、趣味でのんびり釣りを楽しむのもどうかなぁなんて思ってしまうのだ。
私は伸びをしてから窓を閉めようとした。
と、海岸に男が倒れているのが見えた。
私は慌てて診療所を飛び出し、男を診療所の中へ運び入れた。
翌朝、男は目を覚ました。
「気分はどうだい?」
私が尋ねると男はゆっくりと頷いた。
その後、男の話を聞いてみて分かったことだが、なんと男は記憶を失っていた。
かろうじて覚えているのは”窓”の記憶だけらしい。
どこかの窓から外を見ている、そんな記憶だけが残っているのだと言う。
「それはどんなところ? 何が見える?」
私の質問に、男は「分からない」と答えた。
「すみません」と言って困ったように笑う男のことを私は好ましい人物だと思った。
あまり無理に思い出させてもいけないと考えた私は男をゆっくり休ませることにした。
その次の日、テレビを見ながら朝食を食べていた私は、何気なく見ていたその画面で男の正体を知った。
私はすぐに席を立ち、電話を手に取った。
一瞬、電話をかけるべきかどうか迷ったが、かけないわけにはいかない。
電話をかけ終えてから、私は男の病室に向かった。
「君が誰か分かったよ」
男がこちらを見る。
「君はどうやら……刑務所から逃げてきたらしい」
「刑務所、ですか」
「あぁ。窓の記憶というのは、独房の窓のことだったのだろう。おそらく君は脱獄する際に何らかの事故に遭い、結果記憶を失ったんだ」
「そうでしたか……」
「犯した罪に関する記憶は?」
「ありません」
「そうか……」
じっと自分の手を見つめている男を見ながら私は言った。
「……逃げられた、と言うこともできる」
私のそんな言葉に男ははっきりと首を横に振った。
「いいえ。何か罪を犯したのならば、償いをしなければ」
「……分かった」
私は彼の病室にある窓を開けた。
「ここからの眺めを覚えておいてくれ。ここから見える海を。罪を償い終わったら、私とここで釣りをしよう」
不思議そうな顔をしている彼に私は言った。
「私の夢なんだ。付き合ってくれ」
彼がそっと頷いて「はい」と答えた。
ほどなく警察がやってきて、彼を連れて行った。
私は警察に彼の犯した罪や刑期について尋ねたが、答えてはもらえなかった。
警察官に連れられて去っていく彼の背中に向かって声をかける。
「約束を忘れるなよ!」
彼がこちらを振り向かずに頷く。
怪訝な顔になった警官が「約束とは?」と聞いてくるが私は何も答えなかった。
私は今日も窓から外の景色を眺めている。
窓の外には広い海が広がっていた。
私はそこに、小さなボートで釣りをしている二人の姿を思い描いた。
それはこれまで見てきたどんな景色よりも、私にとって好ましい景色だった。
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