ある日、目を覚ますと、壁に黒いカビが生えていた。
湿気の多い部屋で、換気を怠けていたからだろう。
なんとなくその壁をぼーっと見つめていると、なんだかカビの作った模様が人の顔のように見えてきた。
こうした現象を、シミュラクラ現象と呼ぶそうだ。
人の顔でないものを人の顔だと認識してしまう現象。
壁の顔はなんだか変顔をしているようにも、僕を食い殺そうとしている鬼にも見える。
まるでこれは、あれだ。
正月遊びの福笑いみたいじゃないか。
笑う気持ちでもないので僕は無視をして布団から出た。
少し外出してから戻ってくると、壁のカビで出来た顔の表情が変わっていた。
それを見て、思わずふっと笑う。
なんだか悔しい。
翌日になると、また別の面白い顔に変わっていた。
毎日、時には毎時間、壁の顔は変わって、笑える顔と笑えない顔とがあった。
「今日のはいまいちだな」
なんて壁に言うと、ムキになって新作を披露することもあった。
そんなおかしくも楽しい部屋から、引越しをすることになった。
引越し当日の日も、壁は新作の顔を作っていた。
梱包などの作業を終えた僕は、部屋で一人、壁を見つめていた。
たいそうな黒カビだから一応掃除をしなくてはな、と壁をこすったけど、結局消すことが出来なかった。
大家さんに怒られるかなぁ、なんて思いながら壁を眺めていると、突然ひらめいた。
僕は立ち上がって、変なポーズをしながら変顔をしてみる。
すると、まさに蜘蛛の子を散らすようにカビがわぁっと散っていった。
そうか、これは福笑いではなく、にらめっこだったのだ。
「ぎゃ!」
いつの間にかやってきていた大家さんが僕の顔とポーズに驚いて叫ぶ。
「あ、えと……なんでもないです」
僕がそう言うと、大家さんは驚いた表情のまま言った。
「あら、この部屋、綺麗に使ってくれたんだね。どうもこの部屋はカビが生えやすいみたいで、これまでの人はみんな壁に黒カビを生やしていたんだよ」
「あぁ……カビを防ぐにはですね、たまに変顔をしてあげるといいですよ」
「変顔?」
不思議がる大家さんに挨拶をして、僕は部屋を後にした。
僕と壁の対決の結果は786敗、そして1勝であった。
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