あいまい風呂

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 湯船にお湯を張って、入浴剤を入れた。

 ただの入浴剤ではない。

 入浴剤の入ったお風呂は無色透明で香りもしない。

 しかしある効果があるのだ。

 僕は服を脱いでお風呂に入った。

 先ほどまで仕事のことがずっと気になっていたのだが、急にどうでもよくなる。

 この風呂に入れた入浴剤は「あいまい風呂の素」というものだ。

 あいまい風呂の素を入れたお風呂に入ると、すべてのことがどうでもよくなる。

 ある意味、酒のようなものだが、こちらは健康にもいい。何しろ風呂なのだから。

 長湯さえしなければいいのだ。

 あいまい風呂の効果は、寝るまで持続する。

 僕はこのあいまい風呂に初めて入った時、色々なことがどうでもよくなる快感に感動した。

 だが残念なことに、あいまい風呂の素は生産中止になってしまった。

 長湯をしすぎる人が増えたかららしい。

 僕は買えなくなる前にあいまい風呂の素を買いだめしたのだが、残りも少なくなってきた。

 貧乏くさいけど、何度かお湯を沸かし直して入ることにする。

 単身赴任をしている身で、このお風呂には僕しか入らないのだから、いいだろう。

 翌日、会社から帰ってくると妻がいたので驚いた。

「なんだよ、来るなら一言言ってくれよ!」

「別にいいじゃない、やましいことがあるわけじゃないんだし」

「そりゃそうだけど……あ!」

 風呂の中を見て驚いた。湯船の湯が抜かれている。

「なんでお湯を抜いたんだよ!」

「湯船を洗うためでしょ!」

「はぁ……」

 僕はパソコンの前でため息をついた。

 結局、あの後も一晩中喧嘩が続いた。

 妻は今朝早く、まだ怒りながら帰っていった。

 どうしよう。どうでもいいか。

 なんだか、仕事もどうでもいい。

 上司が何か言っている。

「おい! 聞いてるのか!!」

 耳元で怒鳴られて、僕はようやく「あ、すみません」と反応した。

 あぁ、やはりこのシャツを着てくるんじゃなかった。

 昨日、なんで風呂のお湯を抜いたのかと聞いた僕に妻は言ったのだ。

「湯船を洗うためでしょ! それにただ抜いたんじゃないのよ。ちゃんと残り湯を洗濯に使ったんだから!」

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