悲涙のビーカー

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 新しく入ることになった会社で、人事部の人からこんな説明を受けた。

「この会社には、ちょっと変わったシステムがあります。それは”悲涙ビーカー”というものです。社員にストレスが溜まっていると判断したらビーカーに水が溜まるというもので、ビーカーから水が溢れるとその社員から涙が流れます。悲涙ビーカーが溢れてしまった場合、すぐ休みをとっていただく、というシステムになります。一種の監視システムなので、抵抗がある方は対象外にすることもできます」

 変わった会社だなと思いつつ、社員を守るための仕組みに思えたので僕は承諾することにした。

 支給されたパソコンの隅を見てみると、ビーカーが表示されており、今は空っぽである。

 なるほど、ストレスを感じるとこれに水が溜まっていくわけか。

 
 入社してみると、この会社は悪い会社ではなかったが、ストレスなんてどんな会社でも多かれ少なかれかかる。

 その結果、悲涙ビーカーは、定期的に休みが支給される為にあるシステムだと分かった。

 過度のストレスを感じてすぐにいっぱいになる、というよりは、ジワジワとビーカーに水が溜まっていく感じだ。

 そしてビーカーの水は仕事でワクワクしたりすると減っていることもあった。

 ある日、仲良くなった同僚からこんな話を持ちかけられた。

「テレビの懸賞でさ、世界一周旅行が当たっちゃって。頼む、その水分けて!」

 同僚は僕のパソコンの隅に表示されているビーカーを指差して言った。

「そう言われてもなぁ。実際にここにビーカーがあるわけじゃないから、無理だよ」

「大丈夫。人事部の管理している倉庫に、ビーカーが実際に設置されているから、その水を移動すればいい」

「でも……倉庫は厳重に管理されているんだろ?」

「それほど厳重というわけでもない。扉に暗証番号が設定されているだけだ。その暗証番号はもうゲットしてある」

「どうやって!?」

「聞いたんだよ。人事部長、酒に弱いから」

 同僚はそう言ってウインクすると、今度はパンっと手を合わせて「な、頼む!」と拝むような姿勢で言った。

 僕は仕方なく承諾した。

 作戦決行の日。

 僕は同僚と一緒に遅くまで会社に残り、誰も社内にいなくなったことを確認して人事部の倉庫に侵入した。

 そしてもうすぐ溢れそうになっている僕のビーカーから同僚のビーカーに水を移し替えたのだった。

 結果、同僚は一週間の休みを取れることになって、世界一周旅行に出かけていった。

 そして彼は、一週間が過ぎても、二週間がすぎても帰ってこなかった。

 あとで聞いたことによると、彼は世界一周旅行に出かけていたのではなく、その休みを利用して転職活動をしていたらしい。

 同僚はあれ以来会社に来ることはなく、別の会社に転職して行った。

 転職活動をしたいなら、そう言ってくれればよかったのになぁ。

 と、その時、僕のパソコン画面から警告音が鳴り響いた。

 廊下を人事部の人がバタバタと走ってくる。

 そしてその人は僕に向かって言った。

「すぐ会社を早退して、明日から一週間休みをとってください」

「え?」

 人事部の人に顔を指さされて、僕は初めて自分が洪水のような涙を流していることを知った。

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