身元を洗ってくれる「身元洗い人」なる人物がいるらしい。
普通、身元を洗うと言えば身元を調べるという意味だが、その身元洗い人は自分の身元を消してまっさらにしてくれるらしい。
人間関係をリセットしたいと思っていた僕は身元洗い人の元に向かった。
身元洗い人は普通のクリーニング店のような外観の店にいた。
身元洗い人は僕を奥に案内した。
それから僕は、洗剤と柔軟剤をつけて洗われたり、何やらパウダーのようなものを塗られたりした。
全ての工程が終了して僕は店を出た。
さっそく家に帰ってみるが、誰も僕のことを知らなかった。
聞いていたとおりだ。身元洗い人にかかれば、家族すらも自分のことを忘れるらしい。
しかし若干の違和感がある。
家にいた家族は、どこか何かが違っているような気がした。
その後、僕は自分の知り合いだった人物と次々に会った。
その誰もが僕のことを知らなかった。
僕は誰かと会う度に強まる違和感に動揺していた。
何かが違う。
彼ら彼女らは何かが違う。
何かは分からないが、違和感だけがある。
彼ら彼女らが話す言葉にも若干の違和感があるのだ。
なんだ、これは。どういうことだ。
「兄ちゃん、あのクリーニング店に行ったろ」
突然話しかけられて、僕は驚いた。
見ると、見たこともない顔のおじさんがそこに立っていた。
おじさんが言った。
「もう気づいたか?」
「……? 何が、ですか」
「兄ちゃん、”身元洗い人”とかいう人間のところに行ったんだろ」
どうして知っているのだろうか?
「はい、そうですが……」
おじさんは顔をふるふると振ってから言った。
「そりゃペテンだよ。兄ちゃん、騙されたんだ」
「どういうことですか?」
「いいかい、兄ちゃん。あんたはパラレルワールドに送られたんだ。ここは兄ちゃんが元いた世界とは違う」
何言っているんだ、この人は。頭がおかしいのか?
「兄ちゃん自身も、もう気づいているだろう。何かがおかしいって」
確かにおじさんの言う通りではあるが……。
「身元を洗う、というのは嘘さ。店にやってきた人間を、やり方は分からねぇがパラレルワールドに送っちまうんだ。そうするとその人間は自分のことを誰も知らない世界にいけるってわけさ」
にわかには信じがたい話だが、おじさんの話が本当なら先ほどから感じていた違和感にも説明がつく。
僕はおじさんに聞いた。
「どうやったら元の世界に戻れるのでしょうか?」
「もう戻れないさ」
おじさんはため息をついて言った。
「戻れないんだよ」
「そんな……」
僕は目の前が真っ暗になる感覚に襲われながら聞いた。
「あなたは? 誰なんです」
「つけてきたんだよ。あの店から出てきて、惚けたようにしているやつを何回も見たからな。そういうやつはみんな、こことは違う世界から来たって言ってた。それでその後、だいだいおかしな汚れ方をしちまうんだよ」
「おかしな汚れ方……?」
「ほとんどが死んじまうのさ。違う世界にやってきたという現実に耐えられずに。それじゃ寝覚めが悪いだろ。だからこうやって声をかけてるんだ」
それからおじさんは僕の肩に手を置いて言った。
「俺はただのクリーニング店のおやじだ。おまえらの言う、違う世界のな。おまえ、うちで働け。どうせ行くとこもないんだろ」
おじさんの言う通りだった。
「俺の店でとりあえず住み込みで働け。そうすりゃ、この世界でただしく汚れられるよ」
にかっと笑ったおじさんの後を、僕はついていった。
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