山火の男

ショートショート作品
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山小屋までの時間を見誤り、すっかり日が暮れてしまった。

 

真っ暗な山道をヘッドライトの明かりを頼りに歩く。

 

と、近くで明かりがぽぉっと灯るのが見えた。

 

山小屋とは方角が違うようだが。

 

なんだろうと思い、明かりが灯った方向に歩いてみる。

 

すると、背の高い木に囲まれた場所で、男が焚き火をしていた。

 

男は一人背中を丸めるようにして火に当たっている。

 

先ほどまで料理をしていたような匂いが漂い、山小屋まで休憩もせずに歩いてきた私の腹はグゥと鳴った。

 

その音に気がついたように男がゆっくりと振り返る。

 

「あ、ど、どうも」

 

私はそんな風に挨拶をしたが、男は何も返さずまた元のように火に当たり始めた。

 

この辺りは焚き火をしてもいい場所なのだろうか。

 

私は男に挨拶を無視された苛立ちのままに男に声をかけた。

 

「あの、ここは……」

 

「火を見ているんです」

 

男が私の言葉に被せるようにして言った。

 

「……え?」

 

「火を見ているんです。こうしていると落ち着くんです。あなたもどうですか」

 

男は火を中心に反対側に回り込みながら私のことを誘った。

 

「はぁ……」

 

「火はね、人の人生を映し出すんですよ。こんな風に」

 

そう言って男はそのへんに落ちていた布の端切れのようなものを焚き火に投げ入れた。

 

火はポウッと少しだけ勢いを増した。

 

次の瞬間、私の膝くらいまでのその火が、何とその姿を変え始めた。

 

「あっ」

 

思わず声を上げた私を見て、男がふふっと笑う。

 

火は小さな人間のような形になって、その場で足踏みをするように歩き始めた。

 

「すごい」

 

「えぇ、えぇ、そうでしょう。さぁそんなところに立っていないで、どうぞ座ってください」

 

男に促され、私は火の前に腰を下ろした。

 

「こうして火を見ている時がね、一番好きなんですよ。じぃっと見つめていると人生が見えてきます」

 

「あの、さっきのはどうやったんですか」

 

「どうやったも何も、火に衣服をくべただけですよ。あなたも何かやってみますか?」

 

「やってみるって……」

 

「何か火にくべてもいいものをお持ちではないですか」

 

そう男に言われて、私は荷物の中から火にくべられるものを探した。

 

探してみると意外とないものだ。

 

「あっ」

 

私は財布に入っているよれよれの名刺を見つけた。

 

名刺入れを忘れた時の保険にと入れておいた名刺だが、これではもう人に渡すことはできない。

 

私は財布から名刺を抜き出し、男に差し出した。

 

すると男はそれを火の中にくべた。

 

ポッと火が僅かに勢いを増し、火の形がまた変わり始めた。

 

それは人の形で、どことなく私に似ている。

 

火の私はほとんど走るように歩き、パソコンの前に座り、ペコペコと頭を下げた。

 

「ずいぶん苦労なさって今の地位につかれたんですね」

 

一緒に火を見つめていた男がそんな風に言ってくれる。

 

確かに、私があの名刺を持つまでの道は決して平坦じゃなかった。

 

家族には言いたくないような醜態を晒したこともある。

 

しかしそれを含めて今の私がいるのだ。

 

「いいでしょう、火は」

 

男が焚き火越しに言う。

 

「えぇ……色々なことを思い出します」

 

「そうです。火は自分の心を映す鏡です」

 

そう言って男がハンカチのようなものを取り出した。

 

そしてそれを火にくべる。

 

火は勢いを少しだけ増し、それから女性の姿になった。

 

艶やかな女性のボディライン。

 

「これはね、妻からの贈り物なんですよ」

 

「えっ……? 贈り物って……いいんですか?」

 

「いいんです、いいんです」

 

男は火を眺めながら言う。

 

何か事情があるのかもしれないので、私は詮索しないことにした。

 

「これも燃やしてしまいましょう」

 

そう言って男はどこからか背広を取り出した。山登りには不釣り合いなアイテムだ。

 

男が背広を火にくべる。

 

火は大きく勢いを増した。

 

「ちょ、ちょっと……」

 

「ははは、よく燃える」

 

炎は大人の背丈くらいの大きさになり、その人間は何かから逃げるようにその場で走っている。

 

何かに躓いたようで、その場で転ぶ火の男。

 

尻餅をついたまま後ずさる。

 

何かから身を守るように手を突き出す。

 

男の体に衝撃が走り、男は地に伏せる。

 

男に何かが振り下ろされるように、男の体が二回、三回と飛び跳ねる。

 

やがて男は事切れ、火も元の大きさに戻った。

 

「あの男はね、僕と妻の共通の友人だったんですよ。だから、あいつと妻が親しくしていても何も疑いませんでしたよ」

 

「……な、何を……」

 

「さっきのハンカチ。あれは妻からの贈り物です。ただし、妻から僕へではありませんがね」

 

そう言って男は立ち上がり、背後の闇の中にかがんだ。

 

そして手に何かを持ちながら言った。

 

「最初は埋めようと思ってここまで運んだんです。でも、ただ埋めただけじゃあ見つかる可能性があるでしょう。だから燃やすことにしたんです。火は昔から好きでしたから」

 

そう言って男はバラバラと何かを火にくべる。

 

ここに来る前に嗅いだ料理……いや、肉の焼ける臭いがあたりに充満する。

 

火はまた勢いよく燃え上がり、今度は男と女が現れた。

 

互いに交じり合う男女。

 

いつの間にか男が背後に立っている。

 

「人は火に吸い寄せられます。あなたもこの火を見てここにやってきたんですよね。あなたの火は、きっとこんな二人よりも綺麗ですよ」

 

男はそう言いながら、手に持った何かを私に向かって振り下ろした。

 

パキッという焚き火が爆ぜるような音がした。

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