オブラートに包まれた私

ショートショート作品
スポンサーリンク

最近、なんだか辛いなと思うことが多くなってきた。

テレビをつければ嫌なニュース、SNSを覗けば誰かが炎上してる。

見なければいい、聞かなければいいという意見も分かるのだけれど、どうしても気になってしまうし、触れないようにしていてもそういう刺激はどこからかやってくる。

ただでさえ仕事で疲れているから、そんな刺激欲しくないのに。

「オブラートに包んでみれば」

そう言ってくれたのは同僚の律子だった。

「オブラート?」

「薬飲むとかに使うやつ。薄いデンプンの紙」

「いや、それは知ってるけど……」

「最近、スマホをオブラートに包む人が増えてるらしいよ。そうすれば嫌なニュースとかSNSを見てもマイルドな表現になるから傷つかなくなるんだって」

「スマホをオブラートに……?」

「そう。その代わり、良いこともオブラートに包まれちゃうから弱い表現になっちゃうけどね」

「ふぅん……やってみようかな」

私がそう言うと律子はオブラートを扱っているお店を紹介してくれた。

「糖衣堂」というそのお店は健康に良い漢方とかを売っているような雰囲気のお店だった。

正直ちょっと入りづらかったのだけれど、せっかくここまで来たんだし、とお店に入った。

怪しげなおばあさんとかが出てきたらどうしようと思ったけれど、出てきたのはネイルサロンにいるような若い女の店員さんだった。

「あのう、このスマホを包んでいただきたいんですが……」

「はい、承知いたしました」

店員さんはにっこりと笑ってスマホを受け取ってくれる。

店員さんから改めて説明を受ける。

律子が言っていたように、オブラートに包むと嫌なニュースや怖いニュースなどは優しい表現になって気にならなくなるらしい。

その度合いには個人差があるようだが、もし一枚で薄ければ、何枚でも重ね掛けができるらしい。

そしてオブラートに包むと良いことも薄まってしまうがそれでもいいかと確認された。

私はもちろんそれでもいいと答える。

「では」

と言って店員さんが白い手袋をはめてスマホをまず綺麗に磨く。

そして店の奥から薄い膜のようなものを持ってきて、スマホにふわりとかけた。

店員さんはその膜を丁寧にスマホになじませていく。

5分ほど店員さんがスマホを触っていると、先ほどまで見えていた膜がまったく分からなくなった。

「お待たせいたしました」

そう言って店員さんがスマホを返してくれる。

オブラートは完全にスマホに馴染んでいて、本当にオブラートに包まれているのか分からないくらいだ。

店を出た私はさっそくスマホでニュースをチェックしてみる。

『○○市の路上で乗用車同士が軽く接触し、運転手が軽い怪我をした模様です』

こんな普通ならニュースにならないような記事ばかり並んでいる。

これはもしかしたら死亡事故なのかもしれない。

しかし私のスマホに表示されるニュースはこんなとるに足らないようなニュースばかりだった。

本当はもっと陰惨な事件が起きているのかもしれないが、オブラートの効果で優しい表現になっているようだ。

SNSを開いても、前は過激な言葉ばかりが気になったのに今はみんな優しい言葉で交流しあっている。

前はキラキラしすぎてあまり見る気になれなかったフォト系のSNSも今は地味な写真ばかりでなんだかほっとする。

私にはオブラートに包んだスマホがちょうどいいようだった。

良いことも薄まってしまうというけれど、元々スマホから良い情報を得られたことなんてあまりないのだから問題ない。

スマホをオブラートに包んでからはストレスが減ったような気がする。

そして「どうせやるなら徹底的にやろう」と思い、糖衣堂の店員さんにこんな相談をしてみた。

「あの、テレビとかもオブラートに包めますか?」

「できますよ。出張サービスもあります」

「あ、じゃあ……」

「ただ、もしでしたら……ですが」

店員さんはそう言ってこんな提案をしてくれた。

「スマートフォンの処理をしてからの提案で申し訳ないのですが、嫌なニュースや情報などをオブラートに包むのであればテレビなどのデバイスを個々に包むのではなく、お客様自身をオブラートで包んでしまうのが一番効果的です。ご自宅のテレビをオブラートに包んだところで外出先などでテレビを目にしてしまうことはあるわけです。だったら、お客様自身をオブラートに包んでしまえば、それで解決します」

「私自身をって、そんなことが……?」

「はい。目で見ること、耳で聞くこと。それらすべてをオブラートに包んでしまえば、刺激の少ない世界を生きることができます」

それは感受性が強すぎる私には魅力的な提案に思えた。

「ただ一つ注意があります。それは、お客様自身をオブラートで包むと、お客様からの発信もオブラートに包まれるということです。それはつまり、お客様自身が発する言葉などが少しぼやけてしまうということです。それでもよろしければ……というところなのですか」

なるほど。オブラートに包んで外界からの刺激を減らす代わりにこちらからの発信もぼやけてしまうというわけか。

もしかしたらそれは人によっては不便なことなのかもしれない。

しかし私は元々自分から発信することも得意ではないし、それでも構わない、と思った。

「お願いします」

私がそういうと、店員さんは「かしこまりました」と準備を始めた。

さすがにスマホのように簡単にはできないようで、しばらく待ってから私は店の奥に呼ばれた。

「ここで衣服をお脱ぎください」

店員さんに指示されて私は着ていた服を全て脱ぐ。

そして病院の診察台のような場所に横たわった。

「では失礼いたします」

そう言って店員さんがスマホの時の何倍はあろうかという薄い膜を私にふわりとかけた。

そして店員さんの手で私の体がオブラートに包まれていく。

三十分ほどの作業を終えて、私の体は完全にオブラートに包まれた。

料金を払って店を出ると、それまで刺激が強すぎると思っていた文字、映像、音楽、全てが柔らかな印象へと変わり、私の世界は刺激の弱い優しい世界になった。

言いたいことが伝わらない場合は、少し強い表現で伝えてあげればいい。何の不都合もない。

私は自分がオブラートに包まれてよかった、と思った。

オブラートに包まれてからの方が、私の人生は居心地が良いものになったと感じる。

なんだか毎日が楽しい。優しい。

今では、毎日なんだか辛いという人はみんなオブラートに包まれてみればいいのにと思うくらいである。

そんな穏やかな私の生活に一つ事件が起きた。

「好きです」

同期の男の子にいきなりそう告白された。

「えぇ!?」

「好きです」

そう真剣に告白してくる男の子にどきまぎしてしまう。

別にその子のことは嫌いではない。しかし特段異性として意識していたわけではなかった。

最初は断ったのだが、どうも私からの断り方が薄まって伝わったようで、男の子はめげることなく思いを伝え続けてくれた。

初めは意識していなくても、何度も真摯に思いを伝えられたらやはり意識をしてしまう。

そして結果的に私はその子と付き合うことになった。

刺激が嫌いな私にとって、彼は穏やかな幸せをくれるすごく大切な存在だった。

彼といると、オブラートになんて包まれてなくていいかな、と思ってしまう。

「好きだよ」

付き合ってからも相変わらずそう言ってくれる彼の言葉を聞きながら、あれ、と思う。

彼はいつも私に「好きだよ」と伝えてくれる。

しかしそれはオブラートに包んだ私の耳に聞こえてくる言葉だ。

ちょ、ちょっとちょっと! じゃあ彼はなんて言っているのだろう……。

オブラートを剥がして彼の言葉を聞いてみたいな、なんて思った。

しかし。

実際はそんなレベルではなかった。

ある日の夜、私は彼の横を歩いていた。

最近はさすがに「好きだよ」なんて言ってくれる機会が減ったので、私は「ねぇ、私のこと好き?」と尋ねてみた。

すると彼はやはり「好きだよ」と言って笑った。

その時だ。

夜の光の加減で、彼の口に何かが張り付いているのが見えた。

なにかなと思って顔を近づける。

「ん〜……?」

彼の口をよく観察する。

「あっ!」

私は思わず声を上げた。

彼の口に、オブラートがかかっている。

ということは……。

「何?」

そう言って笑う彼の方を見ることができない。

オブラートがかかった彼の口。

そしてオブラートに包まれる私の耳。

二重のオブラートを通して、それでも「好きだよ」と聞こえる彼の言葉……。

本当はなんて言っているのか。

私はその刺激的すぎる言葉を想像して、勝手に顔を赤くしてまた「何?」と彼に笑われたのだった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました