私と同じく在宅ワーカーをやっている友達の理恵がこんなことを言った。
「あんたストレス溜まってるんじゃないの〜?」
「分かる? 最近クライアントからの戻しが多くてさ。参ってるんだよね」
「あらら。あ、じゃあさ、いいもの紹介してあげる」
そう言って理恵が紹介してくれたのは不思議な花瓶だった。
「その花瓶に一輪でいいから花を生けておくの。そうすると、部屋中のストレスを花瓶が感知してくれるの。ストレスがなければ花は生き生きと咲くし、ストレスが溜まってたらしおれちゃうんだって。今どれだけ自分がストレスに晒されているのか分かれば、自分へのご褒美もあげやすくなるじゃない?」
「へぇ、そんなのがあるんだ。その花瓶どこに売ってるの?」
「通販のみだけど、ネットで買えるよ。”知覚花瓶”って名前」
「おかしな名前」
「”知覚”に関する花瓶だからじゃない? あとは”近く”に置いて使う物だから、それもかかってるのかも。まぁネーミングセンスはないけど、商品はいいものだからさ、試してみなよ」
「うん」
「一軒家用と単身住まい用があるみたいだから間違えないようにね」
「分かった」
理恵と別れた後、私はさっそく「知覚花瓶」のサイトを見てみた。
そんなに値段は高くない。
私は「単身住まい用」を選択して、注文してみた。
商品はすぐにやってきた。
説明書を読んでみる。
ストレスが溜まると、生けた花がしおれたり水が一人でに黒く濁ったり、もっとひどい場合は花瓶が割れてしまったりするらしい。
私はさっそく花瓶に水を張って、買ってきた花を生けてみた。
花瓶を棚の上に置いて、さぁ仕事でも始めるかと思った時だった。
花瓶に生けた花がすでにしおしおとしおれている。
「え! もう!?」
私は慌てて水を入れ替えたり栄養剤を入れてあげたりして花のケアをした。
しかし、無駄だった。
私ってそんなにストレスが溜まっているのか……。
私はそうショックを受け、「ごめんね」と言ってお花を捨てた。
その話を理恵にしたところ、「あんた相当参ってるだね。よし、気晴らしに旅行行こ!」と私を一泊温泉旅行に誘ってくれた。
ここしばらく全然休みを取れていなかったので、たまにはいいか、と私は理恵と一緒に旅行に出かけた。
旅行は楽しかった。
私は「さぁて明日からも仕事頑張るかぁ!」と久しぶりに前向きな気持ちで家に帰った。
そして帰り道で買ったお花を一輪、例の花瓶に生ける。
今度は枯らさないようにしなきゃ、と思って私が旅行の荷解きをしていると、すでに花は枯れていた。
「ひえぇ!」
私はショックを受けた。
よく見ると、花瓶の中の水が黒ずんでいる。
ちょっと、やめてよ。
リフレッシュして帰ってきたのに、まさか私、何かの病気なのかな……。
私がそう凹んでいると、インターホンが鳴った。
玄関に出ると、スーツに身を包んだなんだか真面目そうな男の人がそこに立っていた。
「突然すみません。私こういうものですが……」
男の人がそう言って名刺を差し出す。
そこには、あの花瓶のメーカー名が印字されていた。
「この度は誠に申し訳ございません!」
男の人がいきなり頭を下げる。
「え? え?」
「実は当社で製造しております”知覚花瓶”なのですが、あるロットで生産した商品が”一軒家用”と”単身住まい用”が表記と逆になってしまっておりまして。お客様にお買い上げいただいた商品も、本来”単身住まい用”でなくてはならないところ、”一軒家用”になってしまっている次第でして。誠に申し訳ございません!」
男の人がそう言ってまた頭を下げた。
ははあ、なるほど。
ということはあの花瓶は私以外の、例えば隣人や上下の階に住む人のストレスも感知してしまったというわけか。
通りであんなにすぐ花が枯れてしまったわけだ。
「それであの、代替の商品をお持ちしました。お客様にご使用いただいている商品もこちらで責任を持って回収させていただきます」
「はぁ、そうですか。ちょっとお待ちください」
私は部屋に戻り、花瓶を持ってきた。
「これですが」
「あぁ、こちらですね」
男の人が花瓶を私から受け取る。
「あ、水を捨ててからお渡しを……」
私がそう言った時だった。
男の人が持っている花瓶がすごい勢いで「パリン!」と割れた。
「あっ!」
私は思わず叫んだ。
花瓶が割れた拍子に、中の黒い水が破裂して、男の人にざぶんとかかってしまった。
男の人の真っ白いワイシャツが黒い水で汚れる。
「わー、大変! タオルタオル!」
私が急いでタオルを取ってくると、男の人は「いえ、け、結構です! お客様にそんな!」などと遠慮した。
「何言ってるんですか! 風邪引きますよ。シャツもすぐ洗えば落ちるかも!」
私はそう言って男の人のワイシャツを強引に剥ぎ取った。
「お、お客様!」
「いいから! シャワー浴びてってください!」
私はそう言って男の人をシャワーに押し込む。
私が洗面所でシャツを洗っていると、男の人の「す、すみません」という弱々しい声が聞こえた。
そんなことが馴れ初めで、私は彼と結婚した。
「あんなストレス溜まる仕事してたら病むよ!」
という私の薦めもあって、彼は転職し、今は私と一緒に在宅ワーカーとして働いている。
私は仕事中、二人の机の間に置いてある花瓶をチラリと確認した。
花瓶に生けられた花は今日も生き生きと咲き誇っており、花瓶の中の水も透き通ってキラリと輝いていた。
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