「最近あるビジネスを始めてね」
俺は学生時代からの友人にそう言った。
「へぇ、どんなビジネスだい?」
「これだ」
俺は”声床”を取り出した。
「うわ、なんだいこりゃ」
「これはぬか床だよ」
「ぬか床って、漬物の?」
「あぁ。ただし、ただのぬか床じゃない。これは”声床”というんだ」
「こえどこ?」
「そう。ぬか床っていうのはな、毎日混ぜて手入れをする必要があるんだ。うちのおばあちゃんなんかも毎日ぬか床の手入れをしていたよ。そんなばあちゃんの姿を思い出して作ったのがこの声床というわけだ」
「普通のぬか床とどう違うんだい」
「これはな、ぬか床を混ぜているときに”声”を聞かせてやることで味が変化するぬか床なんだ」
「ほぉ……」
ピンと来ない、という様子の友人に俺はタッパーに入れた漬物を差し出した。
「食べてみろよ」
「えぇ〜。俺、あんまりぬか漬け得意じゃないんだけどな」
友人がそんなことを言いながら漬物を口に放り込む。
「ん? おぉ、ピリッと辛くてうまいな」
「そうだろ。それはな、辛口の女の子の声床を使って漬けた漬物なんだ。次はこれ」
俺は別のタッパーの漬物を友人に食べさせた。
「あぁ、これはちょっと甘い味がするな」
「そう。こっちは誰にでも甘いことを言う人が手入れをした声床だ。と、こんな風にその人がどんな人かによって味が変わるのがこの声床の面白いところなんだ」
「ふぅん」
いまいち反応が薄い友人だったが、俺はテスターとして友人にも声床を手入れをしてもらうことにした。
「いやだよ〜、面倒くさいなぁ」
「そう言わずに。最近はぬか床女子なんて言って、ぬか床を趣味にしている女の子もいるくらいなんだから、おまえもぬか床やっておけばモテるかもしれないぞ」
「え……じゃあ、やる」
そう言った友人に俺は声床を渡して手入れ方法を教えた。
すでに声床の仕込みは終わっているので、あとは毎日かき混ぜてやるだけでいいのだが、声床を手入れする時は声床に話しかけて自分の声を聞かせてやる必要がある。
その日あったことなんかを声床に聞かせてやりながら混ぜるとその人オリジナルの声床が出来上がるのだ。
俺の説明を聞いた友人は声床を持って帰った。
一週間後。
「やってはみたんだけどね」
友人はそう言って俺に漬物を差し出した。
「お、どれどれ」
俺は友人の漬物を口に入れた。
「……なんだ、こりゃ」
友人が声床で漬けた漬物は、なんだか味がぼんやりしていて、辛いんだか甘いんだかなんだかよく分からない味だった。
「うまくないだろ」
「まぁ、率直に言えばそうだな。これは、あれだ。おまえの性格をよく現しているよ」
友人は元来優柔不断な男だった。
何においてもはっきりしない男。
「おまえ、そんなんじゃこの先苦労するぜ。声床がうまくならないのも納得だ」
「そんなこと言われてもなぁ」
「この辺りで思い切っちゃどうだ? ほら、気になってる子がいるって言ってたろ。その子にスパァッと気持ちよく告白してみろ。そうすればその優柔不断ぐせも治るかもしれないぜ」
「えぇ!? そんな、無茶だよ」
そんな風に言う友人を俺は勇気づけて、友人を女の子の元へ送り出した。
数日後。
告白をすませた友人に会った時、俺は友人の顔を見ただけで何が起きたのか分かった。
「うまくいったんだな!?」
「へへ、それがね。告白は失敗に終わったんだよ」
「え? それにしちゃ嬉しそうな顔してるじゃないか」
「まぁ聞け。告白をした時はごめんなさいってフラれてしまったんだけど、俺が引き下がろうとした時、彼女が俺の手を取ってこう言ったんだよ。”あれ、もしかしてぬか床やってる?”って」
「ぬかは爪とかに入り込んで匂うことがあるからなぁ」
「そう。それで、実は彼女も”ぬか床女子”だということが分かってね。そこから俺たちは意気投合して、ついに昨日、もう一度告白してOKをもらったんだ」
なるほど。そんなこともあるのか。
「それでな」
そう言って友人がバックからタッパーを取り出した。
「実は彼女にも少し声床を分けてあげたんだよ。それで彼女が漬けた漬物がこれなんだが……食べてみてくれ」
友人がそう言って差し出した漬物を、俺は試しに食べてみた。
「……うっ!」
俺はたまらず漬物を吐き出してしまった。
「ははは。すごい甘さだろう」
友人はそう言って笑ったが、冗談じゃない。
「何言ってんだ。甘いどころか、何か……苦いぞ」
「えぇ? そんなはずないだろ」
そう言って友人が自分も一つ漬物を食べる。
「うん、やっぱり甘いよ」
そんなはずはない。
先ほど食べた漬物は、何か苦い、危険な味がしたのだが……。
そんなことを考えている俺に向かって友人が放った一言で、俺は声床の販売を断念することにした。
「彼女、俺に対していつも甘い言葉を投げかけてくれるんだよ。まぁちょっと毒舌なところもあるんだけどね」
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