昇降口の下駄箱を開けると、一通の手紙が入っていた。
なんだろうと思い封を開けると、それはどうやらクラスメイトの葉月さんからの手紙のようだった。
僕は内心かなりドキドキしながら手紙の中身を読んだ。
「三上くんへ」という書き出しで始まっていたその手紙は、どうやら内容を読むにラブレターのようだった。
(う、うおぉ、マジか!)
密かに葉月さんのことをいいなと思っていた僕は昇降口で誰もいないことを確認しながら手紙を読んだ。
「よければ、お返事いただけると嬉しいです」
そう綺麗な字で結ばれた手紙を読み終えて全身がカァッと熱くなるのを感じていると、なんだか手が本当に熱い。
「ん?」
と手紙の方を見ると、なんと手紙がボォッと燃えていた。
「うわー!」
僕はあまりのことに大声を出した。
すると物陰から「キャー!」という女子の叫び声が聞こえた。
僕が燃える手紙から手を離しながらそちらを見ると、それは手紙の主、葉月さんだった。
「は、葉月さん?」
「ほ、ほ、本当に燃えるなんて思わなくて!」
葉月さんはそう言って地面で燃えている手紙をパタパタと踏みつけて火を消した。
「三上くんは手を冷やしてきて! 早く!」
「あ、いや、すぐ離したから大丈夫だと思うけど」
「ダメ! ほら、早く!」
葉月さんに背中を押され、僕は水道で手を冷やした。
葉月さんは燃えカスとなった手紙を片付けている。
「あの〜、葉月さん?」
手を冷やした僕は葉月さんに声をかけた。
「三上くん、手は? 火傷しなかった?」
「あ、うん。大丈夫」
火がついてすぐに手を離したので、特に異常はないようだ。
「そっか、よかったぁ」
そう胸をなで下ろしている葉月さんに、僕は聞いた。
「あのぉ、今のって……?」
僕の質問に、葉月さんは顔を真っ赤にした。
「あ、あのね、うちにあるインクを使ったの」
「インク?」
「うん。あ、墨、かな。墨汁。それを使ってあの手紙を書いたんだけど……まさか本当に燃えるなんて思わなくて」
「本当に燃えるって、それはどういう……」
混乱する僕に、葉月さんは事の顛末を説明してくれた。
どうやら葉月さんの家には、ある”特殊な”墨汁の製法が伝わっているらしい。
それは「消し墨」というもので、その墨汁を使って手紙を書くと、その手紙を相手が読み終えた瞬間に墨が手紙ごと燃え上がるのだそうだ。
僕は「なんだかスパイ映画の指令を伝える時のやつみたいだ」と思った。
そして葉月さんはその消し墨を使ってあの手紙を書いたらしい。
「本当に燃えるなんて思わなくて……ごめんね」
と頭を下げる葉月さんに僕は「いいよいいよ、大丈夫」と言った。
そして、なんだか肝心なことがうやむやになってしまっているな、と思った。
「あのぉ、葉月さん。手紙のことなんだけど」
そう僕が切り出すと葉月さんはまたカァッと赤くなった。
「あ、うん、あれね。うん」
あわあわと慌てている葉月さんがなんだか可愛くて、僕はいじわるをしてみることにした。
「燃えちゃってびっくりしたから、ちょっと内容を忘れちゃったんだけど……」
「え!? あ、いや、じゃあ大丈夫……というか、大丈夫じゃないけど、えぇと……」
そう言ってもじもじしている葉月さんがどうしようもなく可愛くて、僕は「僕も葉月さんのことが好きです」と返事を返した。
告白の返事をする時にいじわるしたからというわけではないだろうが、それから葉月さんはいつも肝心なことを言う時には手紙を渡してくるようになった。
最初に彼女からもらったプレゼントは手編みのマフラーと耐火手袋という最高にミスマッチなものであり、記念日や誕生日にくれる手紙の書き出しには必ず「※お風呂場や台所のシンクなど安全な場所でお読みください」という注釈がついていた。
葉月さんが消し墨で書く手紙はいつも、僕がしっかり心に刻んでおきたいと思うような、愛のメッセージが含まれていた。
しかし葉月さんはその手紙を残しておかれるのが恥ずかしいようで、いつもこういった手紙は消し墨で書いてよこすのだ。
そして僕は僕で、悔しいけれど手紙を最後まで読んでしまうのだった。
だから、葉月さんからたくさんもらったはずの手紙は一通も残っていない。
そんな寂しい状況で僕は葉月さんからのお別れの手紙を読まなくてはならなかった。
きっと葉月さんはこの手紙も消し墨で書いている。
だから僕は長い間この手紙を読めなかったのだ。
しかしいつまでも読まないでいるわけにもいかない。
手袋をはめた僕は、葉月さんの相変わらず綺麗な字で書かれた手紙を開いた。
僕の名前のあとに、こんな書き出しで手紙は始まっていた。
こんな手紙を書かなければいけないこと、許してください。
私もあなたにお別れなんて言いたくなかった。
でも仕方ないですね。
あの日、私の初めての手紙を受け取って読んでくれているあなたの姿を今でも昨日のように覚えています。
あれから長い時間私と一緒にいてくれてありがとう。
手紙には葉月さんらしい真摯な文章が綴られていた。
僕はそれを読みながら涙を流した。
涙が手紙についてしまわないように、服の袖で涙を拭いながら読み進める。
そんなことをしても意味がないかもしれないのに。
さて、もしかしたらあなたはこの手紙を最後まで読まないつもりかもしれないから、書いておきます。
手紙の最後に、一番大事なことを書きました。
だから最後まできちんと読んでくださいね。
なんだか僕の気持ちを先回りしているような手紙の文章に一瞬、笑みが溢れた。
僕は何度も何度も涙を袖で拭いながら読み進める。
そして、いよいよ最後の一文までやってきてしまった。
これを読んだらこの手紙は燃えてしまう。
僕は深呼吸をして手紙の先を読んだ。
というわけで、こちらに来るのはどうかごゆっくり。
愛しています。これまでも、これからも。
葉月
僕は最後の一文を読んだ瞬間、そこに崩れ落ちてしまいそうになった。
溢れ出る涙が手紙にポツポツと滲んでいく。
この涙が火を消してくれればいいのに、と思った。
僕の手の中で手紙が燃え盛って……いない。
「えっ」
僕は手紙を持って、最後まで読んだか確認してみた。
紙の裏や手紙の入っていた封筒も確認してみるが、全部読んでいる。
どうやら葉月さんはこの手紙を普通の墨で書いたようだ。
僕は涙でところどころ滲んでしまった手紙を封筒の中に入れた。
仏間に移動して葉月さんの写真に手を合わせると、いつもの葉月さんの笑顔が「あの日の仕返しだよ」と笑っているように見えた。
長い時間手を合わせていた僕は遠くから聞こえる「おじいちゃーん」という声に「はぁい」と返事をしながらその場を後にした。
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