ある夏の暑い日。
僕は庭の花壇で花の幹についたアブラムシを取っていた。
「お小遣いが欲しいならお手伝いをしなさい」と母に言われてしぶしぶ花壇の水やりをした僕は、そのままアブラムシ取りまで命じられてしまったのだ。
軍手をして手でパッパッとアブラムシを取る。
意外とやり始めると無心でやってしまうのだ。
太陽が照りつける中、僕は青に近い紫色をした名前も知らない花のアブラムシを手で払っていた。
と、その時、紫の花の向こうに誰かが立っているのが見えた。
目を凝らして見ると、白いワンピースに麦わら帽子を被った女の人だった。
(綺麗な人だな)
僕はそう思って、顔を上げた。
しかしそこには誰もいなかった。
「あれ……?」
確かにそこにいたのだが。
僕は不思議に思いつつ、花の手入れに戻った。
すると、花の向こうにまた女の人が見えた。
女の人は僕に気づくと、こちらを向いてにこりと笑った。
僕は慌てて顔を上げて女の人に挨拶をしようとした。
しかし、やはりそこに女の人はいなかった。
僕はまた頭を下げて、花の間から女の人を見た。
やっぱり、そこに女の人がいる。
僕は花の手入れをすっかり忘れて女の人を見つめた。
女の人は誰かを待っているように見えた。
「こら、いつまでやってるの」
背中の方から、姉が僕を呼ぶ声が聞こえた。
「お母さんが、熱中症になるからもう家に入りなって!」
姉がそう言って僕の服を引っ張る。
と、その時、花の向こうの女の人が目線の先に誰かを見つけたように微笑んで、そちらに行ってしまおうとした。
「ほら、早く来なさい! あんたが来ないと私もアイス食べられないんだから」
姉がそう言って僕を引っ張っていく。
「あーー!」
僕はそう叫びながら、だけど為す術もなく家の中に引っ張っていかれた。
それから何度か僕は花壇に行って花の間から女の人を探してみたけれど、あれ以降、女の人が見えたことはなかった。
僕は一人、大きな公園のベンチに座りながらそんな幼い日の出来事を思い出していた。
思えば、僕の初恋はあの女の人だったのかもしれない。
そんなことを考えながら公園の噴水広場に咲いている花を見た。
それは、あの夏の日に僕がアブラムシ取りをしていた花に似ていた。
プレートで名前を確認してみると「ブルーサルビア」という名前だった。
プレートにはブルーサルビアの花言葉も書いてあり、それは「尊敬」「知恵」「家族愛」というものだった。
(なんだ、初恋とかならよかったのに)
そんなことを思いながらベンチで待ち人を待った。
すでに約束の時間を十分過ぎている。
まぁのんびり待つか。
そんな風に思っていると、ポケットの中でスマホが震えた。
「今どこ? もう待ってるよ」
電話の主がそう言った。
「え?」と答えながら僕はベンチから立ち上がる。
「あぁ、なんだ、そこにいたのか」
噴水の反対側にいた彼女に声をかける。
「あっ」
彼女の格好を見て思わず声が漏れてしまった。
白いワンピースに麦わら帽子。
「なんだ、そういうことかよ」
僕が思わず独り言を言うと「何?」と麦わら帽子の下にある顔がちょっと笑った。
地元から僕が一人暮らしをしている東京に出てきた彼女は、僕に東京を案内してくれ、と言ったのだった。
「格好、気合入りすぎじゃない?」
「いーじゃんいーじゃん。ね、さっきね、花壇の向こうに小さい男の子がいてさ。その子、小さい頃のあんたそっくりだった」
「へぇ」
そう答えた僕の腕に彼女が自分の腕を絡める。
「おい、くっつくなよ!」
「いーじゃんいーじゃん。今日はデートなんだから」
「はいはい」
「それで、今日はどこに連れていってくれるの?」
「それはあとのお楽しみ」
僕がそう言うと「なにそれー」と、明らかに浮かれすぎな姉が笑った。
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