大学に入学した私は、目一杯大学生活を楽しもうと考えていた。
大学に入れば、高校の頃とは違って友達もたくさんできると思った。
いわゆる大学デビューを狙っていたのである。
しかし現実は甘くない。
私は大学でもうまく人と接することができず、友達もあまりできなかった。
このままではいけないと思った私は人付き合いが上手になる方法について真面目に調べ始めた。
そんな時に見つけたのがこの「対人肝油」というものである。
肝油とは魚の肝臓に含まれる液体を固めたものであり、栄養素を補うサプリメントとして知られている。
この対人肝油は、飲み続けることで体の外側に油の膜ができるのだという。
油の膜といっても目に見えるものではなく、ニオイもしない。
その人から見えない膜のおかげで、対人関係が滑らかにできるようになるというのだ。
油の膜を作る為には数日間、対人肝油を飲み続ける必要がある。
私はネット注文でこの対人肝油を手に入れてから、すでに数日間、対人肝油を飲み続けている。
効果はしっかりと出てきていた。
それまではあまりすんなり話しかけることができなかったゼミの同期たちとも、なんだか自然に会話ができるようになってきている。
明らかに対人肝油のおかげだった。
友達の輪に自然と入れるようになった私は、自分に自信を持てるようになった。
そして、前までは考えもしなかったようなことを考えるようになった。
自分がいいなと思った相手に、こちらから積極的にアピールする。
そんな芸当が、今ならできそうだった。
私はゼミの先輩である嶋田先輩に声をかけようとキャンパスで嶋田先輩を探した。
食堂にいる嶋田先輩を見つけたので、挨拶をしようと近づく。
しかし嶋田先輩は私が声をかけようとする直前に席を立ってしまった。
その時は追いかける勇気が出なかったのだが、次の日にキャンパス内ですれ違った時、改めて声をかけようと思った。
しかしその時も他の先輩がやってきてしまって、私は声を掛けるタイミングを失ってしまった。
それから何度かそんなことを繰り返し、私は、これはなんだか妙だぞと思うようになった。
前は意識しなくても後輩の面倒見がいい嶋田先輩の方から声をかけてくれたのに。
今はなんだかすれ違ってばかりだ。
こんなことがあるのかな、と私は対人肝油メーカーのカスタマーセンターに電話をかけた。
私の話を聞いたカスタマーセンターのお姉さんは「もしかしたら」とこんな話をした。
「その方も、弊社の対人肝油を服用いただいているのかもしれません。その結果、油の膜と膜が滑りあって、逆にすれ違ってしまっているのかも」
「どうすればその人と普通に話せるようになりますか?」
「そうですね……その場合は、どちらかが膜を取り除く必要があります。どちらかの膜がなくなれば、今まで通りちゃんとお話ができるようになるかと」
私はそれを聞いて悩んだ。
対人肝油の膜がなくなっても、私はみんなとうまくやれるだろうか。
いや、やれるはず。
対人肝油を飲んで普通に友達と接するようになった私は、友達と仲良くなる為には何も特別なことなど必要ないことに気がついた。
ただ、一歩踏み出す勇気が必要なだけ。
私はカスタマーセンターの人に「どうすれば膜を取ることができますか」と聞いた。
「通常、自然に膜が消滅するには一年程度の時間を要します」
「一年も!?」
「はい。今回のようなケースはかなり稀なケースなので、すぐに膜を取り除く方法は弊社でも確立されていないんです」
「そんな……」
「ただ……ですね。うまくいく保証はできかねるのですが、すぐに膜を取り除く方法が一つだけあります」
「本当ですか!? ぜひ教えてください」
「お客様の周りには……その、”アツい人”はいらっしゃいますか?」
「は……アツい人?」
「はい。いわゆる、燃えている人と申しますか。言い方は悪いですが、ちょっと暑苦しいような、そんな人です」
「暑苦しい人……」
「何かに情熱を燃やしていたり、そんなアツい人を見つけることができれば、対人肝油の膜を取り除くことができるかもしれません。アツい人の熱気にあてられて、対人肝油の膜が蒸発する可能性があるのです」
「なるほど……」
「是非、お試しいただければと」
私は電話を切った後、自分の周囲にそんな人がいるだろうかと考えた。
少なくとも自分の家族や知り合いにはあまりいないタイプである。
う〜むと考え込みながら大学のキャンパスを歩いていた時、運動場の方から大きな声が聞こえてきた。
威勢の良い、男の人の掛け声。
近づいて見てみると、その掛け声は私が通う大学にある応援団サークルの掛け声だった。
それほど気温は高くないのに、大粒の汗を流して応援の練習をする人たち。
これだ、と思った。
私は嶋田先輩の為ならば、と思い切って応援団サークルに入団してみることにした。
女性の団員は少ないが、歓迎してくれるという。
私は応援団の制服を着て、日々応援の練習に明け暮れた。
たかが応援だと高を括っていたが、大声を出し続けるというのは思ったよりも体力がいる。
練習はキツかった。
だが……楽しかった。
どうやら私には自分でも気づかなかった応援を楽しむ素質があったらしく、私は応援団の練習にのめり込んだ。
他の団員と一緒に、応援に情熱のかぎりを注ぎ込む。
熱にうなされるように何かに打ち込んだのは初めての体験で、私はどんどん応援にハマっていった。
しかしそんな日々が数週間続いたある日、私はパタっと応援への興味をなくしてしまった。
今までの日々が嘘のように、体が冷えている。
どうやら、熱を生み出す対人肝油の膜がなくなってしまったらしい。
対人肝油の膜がなくなった私は、前のようにまた人付き合いがあまりうまくいかなくなってしまった。
なんというか、普通に人と話してもギスギスしてしまうのだ。
もしかしたら対人肝油の油を取り払う為に熱を出しすぎて、私を包む雰囲気が前よりもさらにガサガサになってしまったのかもしれない。
私はカスタマーセンターのお姉さんに泣きついた。
「そうした症状の場合、弊社の”処世水”をお試しいただけますと症状が緩和するかもしれません」
「処世水?」
「はい。こちらは飲むのではなく、化粧水のように直接お肌に塗っていただくことで人間関係に潤いをもたらす効果があります」
「なるほど……」
そう言って私は唸ってしまった。
正直、もうあまりお金をかける余裕はない。
そんな私に、カスタマーセンターのお姉さんは言った。
「この度は私共の商品でご迷惑をおかけしておりますので、処世水につきましては無料でご提供させていただけれと考えています」
「本当ですか!?」
「はい。数日でお届けできると思いますので」
それから数日後、メーカーから処世水が送られてきた。
この処世水には化粧水の成分も含まれているらしい。
私は早速毎晩化粧水の代わりに処世水を顔や体に塗ってみた。
すると、みるみるうちに私は潤いを取り戻し、また人付き合いがうまくいくようになった。
自信を持った私は、今度こそという思いで嶋田先輩にアプローチをかけようとした。
しかし今度は、すれ違ってしまうどころから、嶋田先輩に出会うことすらできない。
嶋田先輩がいるはずの時間にゼミの研究室を訪ねても、なぜか嶋田先輩がいないのだ。
そんなことを繰り返すうちに、私はなぜ嶋田先輩と出会うことができないのか、その原因が分かった。
きっと、まだ嶋田先輩は対人肝油を飲み続けているのだろう。
今の私と嶋田先輩は水と油。
出会うことができないのは当然だ。
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