きまぐれ温泉

ショートショート作品
スポンサーリンク

 ある奇妙な温泉の噂を聞いた。

 なんでも、その温泉は入る時間によって温度が変わるそうだ。

 ベストなタイミングで入ると凄まじい気持ち良さだという噂である。

 俺は友達の智樹と一緒にその温泉がある場所へと向かった。

 その温泉はその名も「きまぐれ温泉」という名前で、海の近くにあり、温泉の露天風呂からは海が見えるらしい。

 きまぐれ温泉は掘建て小屋のような出立ちでひっそりと建っていた。

「景観がすでにいいね」

 なんて言い合いながら俺と智樹はきまぐれ温泉に入ろうとした。

 しかし受付らしき椅子に座っていたおばさん、いやおばあさんに止められてしまった。

「あんたら、何しに来たの」

「何しにって……温泉に入りたいなと思って」

「申し訳ないけど、無理だよ。この温泉は女性専用だから」

「えぇー!」

 ごく基本的な情報を見逃していたらしい。

 だが見たところ、温泉には今誰も入っていないようである。

「おばあさん、そこをなんとかお願いします! この通り……!」

 俺は智樹と一緒におばあさんに手を合わせた。

「そう言われてもねぇ……」

「俺たち、この温泉が目的でここまで来たんです。本当、ちょっと入るだけでいいんで……!」

 俺と智樹はそう言っておばあさんに頼み込んだ。

 そんな俺たちの姿を見て、おばあさんはやれやれという顔をして言った。

「今はダメだよ。温度が悪いからね」

「あ、ちょっと熱いとか冷たいとかなら僕ら……」

「ちょっとじゃないんだよ」

 おばあさんはそう言って俺たちを温泉の中に案内した。

 脱衣所を抜けると、おそらく五人くらい入ったらそれで満員という感じの小さな露天風呂があった。

 これがきまぐれ温泉らしい。

「触ってみな」

 おばあさんに言われて俺はお湯の中に手を入れてみた。

「あぢぢぢぢぢ!」

 お湯はものすごく熱かった。

「ほとんど沸騰しかかってるんだよ。茹でダコになりたければ入りな」

「これって、冷めるんですか?」

「冷めるよ。氷水みたいになることもある。だからきまぐれ温泉」

 俺と智樹は、二十四時間きまぐれ温泉の監視をしているらしいおばあさんにお湯の具合が良くなった時に呼び出してもらうことにして近くの旅館に向かった。

 
 旅館の部屋にあった黒電話が鳴ったのは、智樹も俺も布団に入ってぐっすり寝ていた真夜中だった。

「今だよ」

「い、今ぁ!?」

「早くしないと温度が変わるよ」

 おばあさんに言われた俺たちは半分寝ぼけながら浴衣から着替えてきまぐれ温泉に向かった。

 温泉の入り口でおばあさんが待っていた。

「私も一緒に入ろうかねぇ」

 おばあさんがそんなことを真顔で言うので、俺たちは丁重にお断りして脱衣所で服を脱ぎ温泉に入った。

「な、なんだこれ……!」

「うお……!」

 俺と智樹は思わずそんな声を漏らした。

 きまぐれ温泉は今まで入ったどんな温泉よりも素晴らしい温泉だった。

「すげぇな、これ」

「おぉ……」

 俺と智樹はそんな感想を言い合いながら温泉の湯を楽しんだ。
 

 そのまま一体どれくらいきまぐれ温泉に浸かっていたのだろう。

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい俺は誰かに頭を叩かれて目を覚ました。

「おにいちゃん! 起きな! おい!」

 俺のことを叩いていたのはおばあさんだった。

「ちょっと、ばあちゃん何を……」

 そう言いかけて俺はようやく異変に気がついた。

 湯に浸かっているはずの下半身に感覚がない。

 自分の下半身を見た俺は、目を疑った。

 さっきまであれほど気持ち良かったお湯が凍っている。

 俺は温泉の中で体を出そうとしたが、まったく動かなかった。

「だから一緒に入るって言ったんだよ! こりゃ大変だ」

 おばあさんが慌ててどこかに走っていった。

 横にいる智樹はまだ眠っている。

「おい! 智樹!」

 俺が手を伸ばして智樹を叩くと、ようやく智樹も目を覚ました。

「何……って、なんだこりゃ!」

 智樹が慌てて上半身をバタバタ動かすが、抜けない。

 そこにおばあさんが俺たちが泊まっている旅館の人数人を連れてもどってきた。

「それ、行くぞ!」

 旅館の人が持っていたバケツの中のお湯を温泉にぶちまける。

 が、きまぐれ温泉の氷は全然溶けない。

 旅館の人たちが総出でバケツリレーをしてお湯をかけ続けてくれる。

 十分ぐらいそうした結果、俺たちはようやく温泉から出ることができた。

 俺たちは脱衣所で毛布をかけてもらいながら、なぜおばあちゃんが「女性専用」と言ったり「私も一緒に入ろうかねぇ」なんて言ったのか、その理由が分かった。

 俺たちはきまぐれ温泉に入ってすぐにあまりの気持ち良さに眠りこけてしまった。

 そしてその後すぐにきまぐれ温泉の温度が氷点下まで下がった。

 起きていればすぐに温泉の温度の変化に気づけたはずだが……。

 もう少しで死ぬところだった。

 おばあちゃんが旅館の人たちに謝っているのを見て、俺たちは「この人は悪くないです、悪いのは僕たちです」と平謝りした。

 俺と智樹は二人揃ってくしゃみをし、それから数日高熱に悩まされることとなったのだった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました