悟りのナッツ

ショートショート作品
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 同僚から「これ食うか」とナッツをもらった。

「なんだよこれ」

「いいから食ってみろ」

 それはよく酒のつまみなんかにあるミックスナッツのようで、俺は手のひらのナッツをパラパラと口の中に入れた。

 途端、ささくれだっていた気持ちがスーッと楽になっていく。

「ん、なんか変な感じだ」

「そうだろ。これは”悟りを開けるナッツ”なんだ」

「なんだそりゃ!?」

「ははは。おまえが平川課長にこってり絞られていたのを見ちゃったからさ。持ってきたのよ」

「見てたのかよ」

「フロア中に響くくらいの怒声だったからな」

 俺はほんの十分前に食らった平川からの説教を思い出してまた少しむかっ腹が立った。

 確かに俺のミスではある。

 しかし平川にも全く責任がないとは言い切れないのに、自分は悪くないと保身たっぷりの嫌味を聞かされたのだ。

「これ、おまえにもやるから、なんかストレスあったら食えよ」

「なんなのこれ」

「だから悟りを開けるナッツだって。感情がささくれだったり、自分が行き過ぎた行動をしそうになったり、欲望に流されているなーと思ったらこのナッツを食うんだ。そうするとスーッと楽になるから」

「ふぅん」

 同僚からもらったナッツにはよく見ると見たことのない種なんかも混じっていて、どこか外国で売ってるようなやつなのかなと思った。

 それから俺は、何か「これはいけないな」と思うようなことがあるとナッツを食べた。

 ナッツはある意味鎮静剤のようなもので、食べると自分のささくれだった感情や欲望がしぼんでいくのが分かった。

 ナッツを気に入った俺は同僚に購入先を聞いて自分でもナッツを買って食べるようになった。

 そうやって自分の感情をコントロールするようになって分かったのだが、人間、内側が平穏だとエネルギー消費が少なくて済む。

 内側が平穏であればいくら外からの刺激が強くてもさざなみ程度でそれを受け流せるのである。
 


 思えば、長い時間が経った。

 同僚からナッツをもらったあの日から私は変わった。

 以前までのささくれだって尖っていた私はもういない。

 私は自宅のリビングでゆったりとした時間を妻と一緒に過ごしていた。

 非常に穏やかな時間である。

 リンッと控えめな呼び鈴が鳴った。

 妻が出てくれる。

 スーツ姿の男性がリビングにやってきた。

「おぉ、立派な木ですね」

 我が家への来客はみんなそう感嘆の声をあげる。

 ナッツを食べて様々な欲望を排除した私は、結局のところ人間の欲の対照にあるのは植物だと気づいた。

 そしてその真理に気づいた時、私の中で何かが芽生えたのだ。

 しかし妻は、家の中に木があることを嫌っている。それは残念なことだ。

 まだ興味深そうに木を眺めている来客の視線を遮って、妻が「こちらへ」と来客を別室に促す。

「どこに行くんだい」

 私はそう妻に尋ねるが、妻は答えない。

 妻と来客の男が奥の部屋に消えていくのを見た時、私は自分がその”木”になっているのだということを思い出したのだった。

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