ドクターフィッシュとは人間の古い角質を食べてくれるありがたい魚である。
そんなドクターフィッシュの中には人間の記憶を消してくれるものがいるらしい。
私はさっそくそのドクターフィッシュのいる店までやって来た。
私には忘れたいことがたくさんあるのだ。
お店の人がドクターフィッシュについての説明をしてくれる。
「記憶は一度消したら元には戻せません。よろしいですね?」
「はい」
「それでは消したい記憶を思い浮かべながらこの水槽に頭を入れてください」
私は言われた通り、頭を水槽の中に突っ込んだ。
水槽の中のドクターフィッシュが集まってきてプツプツと私の頭を刺激する。
「毛は食べないでしょうね。残り少ないから。はは」
そんなことを言っているうちに、私は何の記憶を消してもらったのかすっかり忘れてしまった。
「お疲れ様でした」
お店の人がタオルを差し出してくれる。
私は頭を拭きながら「本当に記憶は消えたのかな?」と疑問に思った。
何しろ消してもらった記憶をまったく思い出せないのだ。
なんだったっけなぁ……。
私はその記憶のことがものすごく気になってしまった。
「一応聞くんですけど、記憶は元に戻せないんですよね?」
「はい。事前に説明させていただいた通りです」
「そうですか……」
「やはり気になりますか」
「え、えぇ。まぁ」
「そういった方におすすめなのが、この店自体の記憶を食べてもらうことです。そうすれば忘れたこと自体を忘れますので気になることもありません」
それはいい、と思った私はさっそくこの店の記憶をドクターフィッシュに食べてもらうことにした。
再び水槽に頭を入れると、続々とドクターフィッシュが集まってきた。
プツプツという感覚。
頭を上げると、お店の人が言った。
「こちらおすすめですよ」
「おすすめ? えっと……なんでしたっけ?」
「熱帯魚をお探しなんですよね?」
そうだったっけ?
私は結構ですと断って歩き出した。
店員さんが何かを言っていた気がするが、熱帯魚なんて飼うつもりはないので面倒なことになる前にペットショップを後にした。
ペットショップを出た私は帰りの電車に乗った。
私はあんなところで何をしていたのだろう。
と、車内でくすくすという笑い声が上がった。
向かいの席に座った高校生が私を見てひそひそ何か言っている。
「海行ってきたんじゃね?」
「ねーだろ、くすくす」
なんだろうと思った私は気まずさに窓の外へ視線を逃した。
すると、そこに私の顔が映っていたのだが、なんとその頭の上に海藻がついていた。
な、なんで!?
私は海藻を取りながら記憶を巡らせた。
海に行った記憶なんかない。
あるとしたらあのペットショップだが、まさか水槽に頭を突っ込んだわけでもあるまい。
だとしたら、なぜ……。
車内の笑い声を聞きながら、私は思った。
あぁ、こんな記憶を消してくれるところがあれば……。
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