彼女と別れてから僕は一人で電車に乗り、実家への道を歩いていた。
デートを終えたばかりなのに、すでに彼女が恋しくなっている自分に苦笑する。
と、道中のある家の玄関の前にろうそくが置かれているのを見つけた。
ろうそくは頼りない風貌でゆらゆらとか細い火を揺らしている。
僕はなんとなくその火を眺めながら通り過ぎた。
それからまた次の日もその家の前を通り過ぎたのだが、ろうそくは依然としてそこにあった。
来る日も来る日もろうそくは玄関の前でか細く火を燃やし続け、そしてある日、本当にあっけなくふっと消えてしまった。
僕が驚いたのは、その玄関のろうそくの火が消えた次の日にその家で葬儀が営まれたことである。
ろうそくの火が消えたその日に、誰かが死んだ……。
そう言えば前に「命のろうそく」の話を聞いたことがあった。
世界のどこかにたくさんのろうそくに火が灯っている部屋があって、そこには自分のろうそくもある。
そしてその人のろうそくの火が消えた時に、人は命を落とすのだという。
まさかあの玄関前のろうそくは、命のろうそくだったのだろうか。
死神が「次に連れて行くのはこの家の人間だな」なんて目印にあのろうそくを置いていたとでもいうのか。
僕は身震いしてその家の前を通り過ぎた。
僕は彼女とのデートの間中、あのろうそくのことを思い出してぼんやりとしていた。
するとすかさず彼女にそれを見透かされ「何かあった?」と聞かれる。
僕はあのろうそくの話をした。
すると彼女は「やめてよ、そういう話苦手なんだから」と本気で怖がっていた。
結局その日のデートは早めに取り止めになって、僕は彼女を家まで送っていくことにした。
彼女は一人暮らしをしているが、まだその家に上がりこんだことはない。
いつも送っていくだけだ。
彼女の住んでいるマンションの前までやってきた僕は、まさか、と目を疑った。
彼女の部屋の前にろうそくが置いてある。
「こ、これ……」
僕は驚きのあまり彼女にそう言ったが、彼女は「何?」と不思議がるだけで、ろうそくが見えていないようだった。
なんだ、これ。どうすればいいんだ?
僕は結局彼女に何も言うことができず、足早に彼女の部屋から離れた。
あのろうそくの火が消えたら彼女は死んでしまうのだろうか。
いや、そもそもあの家の住人だって、たまたまろうそくの火が消えたタイミングで死んでしまったのかもしれない。
僕はそう考えて気を落ち着かせようとしたが、彼女があのろうそくにまったく気づいていないことが気がかりだった。
それから僕は、市販のろうそくを買って、彼女には内緒で彼女の部屋まで行ってろうそくを継ぎ足そうとしてみたが無駄だった。
火が移らないのだ。
「ねぇ、なんか、体調とか悪くない?」
僕は彼女に言った。
すると彼女は長い溜息のあと言った。
「だから……大丈夫だってば」
「でも、病院とか行ってみた方が」
「ねぇ! この前からなんなの!? 怖いよなんか」
「いや……でも……」
「今日帰るね」
そう言って彼女は本当に帰っていってしまった。
そんなことをきっかけに僕と彼女の距離が少しずつ離れ始め、僕たちは結局別れることになってしまった。
しかし別れてからも彼女のことが心配だった僕は彼女には内緒で彼女の部屋の前までやってきた。
ここに来るまでに「これじゃストーカーじゃないか」と自嘲気味に浮かべた笑みは彼女の部屋の前までやってきた瞬間、吹き飛んだ。
ろうそくの火が、消えている。
僕はたまらず呼び鈴を押し、それからドアを乱暴に叩いた。
まさか、でも、一体どうして。
と、その瞬間扉が開いた。
「どうしたの?」
そんな風に顔を出した彼女を見て、僕はあっけにとられた。
「だ、大丈夫なの?」
「えぇ……? まったくもう。近所迷惑になるから、入って」
僕は彼女に招き入れられ、彼女の部屋に入った。
「まったく、突然来るからびっくりするじゃん」
彼女は心なしか楽しげにそう言いながら僕にコーヒーを淹れてくれた。
「ねぇ、なんともないの?」
「だから、大丈夫だってば。まだそんなこと言ってるの?」
「あ、いやぁ……」
僕が気まずさに頭を掻くと、「その癖、なんか隠してるのバレるからやめなって言ったじゃん」と彼女は笑った。
彼女の部屋を出て自分の家に戻った僕は、やっぱりろうそくなんて思い過ごしだったんだと思った。
それに僕は、別れたのにまた彼女といい雰囲気で再会できたことが嬉しくて、少し舞い上がっていた。
しかしそんな浮かれた気分はすぐに打ち砕かれた。
あれから彼女と連絡がつかなくなったのだ。
やっぱり何かあったのか。
僕はいても立ってもいられなくなり、彼女の様子を確かめる為に家を出た。
駅への道を歩き始めた時、後ろから誰かに肩を叩かれた。
振り向くと、二人の男が立っている。
「失礼ですが。吉田翔太さんですね」
「え……はぁ」
「警察のものですが」
二人の男は胸ポケットから取り出した手帳を僕に見せた。
「ちょっとだけお時間、よろしいですか」
「な、なんでしょう。急いでいるんですが」
すると男は仕方ない、といった様子で一枚の写真を僕に見せた。
「この女性に見覚えは?」
それは紛れもなく彼女の写真だった。
「あ……はい。あの、僕の恋人です」
そう言ってしまってから、すぐに訂正する。
「あ、いや、恋人だった、人です」
「ほう……それはいつ頃まで」
「数週間前までですが」
「ふむ。彼女の今の居場所をご存知ですか」
「自宅だと思いますが」
「それ以外に立ち寄りそうな場所に心当たりは?」
「実家、ぐらいでしょうか。ただかなり遠いので違うと思いますけど」
「そうですか。ありがとうございました」
男はそう言って軽く一礼してから、もう一人の男と一緒に行ってしまおうとする。
「あ、あの!」
僕は慌てて呼び止めた。
「彼女になにかあったんですか!?」
「いえ、大したことではありませんので」
嘘だ。直感が告げている。
「お願いします、教えてください! 僕も彼女の様子が気になっていたんです」
僕が必死にそう訴えかけると、男はもう一人の男と顔を見合わせてから、小さくため息をつき、言った。
「あなたは彼女と付き合っていたとおっしゃいましたが、彼女には家族がいたのをご存知ですか?」
「は、家族? 実家の両親のことですか」
「いいえ。彼女は既婚者です。その夫が彼女のマンションで殺害され、遺体が見つかりました」
言葉が頭に入ってこなかった。
何を言っているんだ?
彼女に家族が? その夫が遺体で発見、だって?
そんな僕に男は言った。
「彼女は現在逃亡中です。彼女から連絡があったら私までご一報を」
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