小説家の眼光

ショートショート作品
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 一人の小説家がベッドに寝かされている。

 部屋に白衣を着た男がやってきて小説家に向かって言った。

「今日の話はできたかね」

 小説家は男の声に反応してぼそぼそと話し始めた。

 それは一つの物語だった。

 小説家が物語を話し終えると、気だるそうな看護師がやってきて小説家につながれた点滴を変えた。

 小説家の体は極限までやせ細っている。

 食べ物は与えられていないので、便は出ない。尿道には管が通っており、定期的に看護師が採尿バックを替えに来る。

 そんな体の状態とは裏腹に小説家は自分の頭が冴え渡るのを感じていた。

 飢餓が頭を冴えさせているのか。

 それとも、この頭の冴えは繰り返される走馬灯のようなものなのか。

 白衣の男が小説家に聞いた。

「もし開放されたら何が食べたい?」

「……缶詰」

 缶詰は小説家の好物だった

「何の缶詰?」

「なんでもいい」

 そう答える小説家の目は限界まで落ち窪んでいた。

 もしこうなる前の知り合いが今の小説家の姿を見ても、それが小説家であると気づけないだろう。

 だが小説家の目は死んではいなかった。

 その奥深くにまだ光を携えていた。

 それは、まだ小説家が諦めていない証拠である。

 小説家は突然ここに連れてこられ監禁されたのだが、これまでの言動から白衣の男が何をしているのかを理解していた。

 白衣の男は毎晩小説家の口から紡がれる物語を文字に書き起こし、自分の作品として公開しているのだった。

 白衣の男は医者だが、本当は作家になりたいと思っていた。

 しかし自分には物語を作る才能がない。

 だから男は小説家を拉致して物語を作らせたのだった。

 小説家はその真実を知ると、毎晩紡ぐ物語の中に罠を仕込んだ。

 繊細なプロットを紐解いていくと、必ず関係のないセリフが一つ、浮かび上がってくる。

 そのセリフがこの場所で小説家がこうしていることを伝えるヒントになっているのだ。
“誰か、気がついてくれ”

 小説家の眼光はその一縷の望みによって光を失っていなかったのである。

 しかし、そんな小説家の意志よりも先に、体が限界を迎えた。

 小説家の眼光が消えかかっている。

「どうした。今日の話は? なければ点滴は打てないぞ」

 小説家はかすれ声で答えた。

「もういい……」

 小説家の眼光が消え、小説家は目を閉じた。

 小説家が次に目を覚ましたのは、病院のベッドだった。

「先生」

 白衣を着た医者が小説家のことを覗き込んでいる。

「ここは……」

「病院ですよ。あなたは保護されたのです」

 医者は小説家に状況を説明した。

 小説家が物語の中に紛れ込ませていたヒントにいち早く気づいたのは、今ここで話をしている医者と一人の警察官だった。

 彼らは懇意にしていた小説家の新作が発表されないこと、そしてその代わりに小説家のものと酷似したストーリーラインの作品を発表している作家の存在を知り、疑念を持った。

 そして作品に隠されたヒントを発見した。

 医者の話では、二人以外にも全国のファンがそのことを見抜いていたらしい。

 医者は小説家に尋ねた。

「元気になったら、また新作を書いてください」

「……いや、私はもう……」

「書かないんですか」

「……」

 小説家は、怖かった。

 点滴だけを打たれているあの極限状態。あの追い込まれた状況だったからこそ、あれだけの物語を紡ぐことができたのではないか。

 以前の健康な状態に戻ったら、きっと自分はあれほどの作品を書くことができない。

 小説家はそう考えていたのだ。

「残念だなぁ。先生の作品は未だにこう言われているんですよ。”デビュー作を越す作品はないな”って。私はデビュー作以上の作品を待っているのですが」

 医者の言葉に、小説家の目がギラリと光った。

「なんだって……?」

 小説家は体を無理に起き上がらせようとした。

「おっと、まだ安静にしていないと」

「腹が減った」

「え?」

「腹が減った! なんでもいい、食べ物を持ってきてくれ……! 肉、魚、なんでもいい」

「はいはい」

 医者は看護師に言って胃に優しい流動食を用意させた。

 小説家はそれを猛然と食べ始めた。

「あまり焦らないでください。胃が受け付けませんよ」

「それと……缶詰だ」

「缶詰は駄目です。栄養価は高いですが、消化の負担が大きすぎる」

「違う!」

 小説家は流動食を口いっぱいに頬張りながら言った。

「もう構想はできたんだ。原稿を書く。缶詰用のホテルを用意してくれ!」

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