逃げる割烹着

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 僕がまだ幼い頃、お母さんは割烹着を着て台所に立っていた。

 それだけなら普通の思い出だろう。

 だがお母さんの割烹着は少し変わっていた。

 その割烹着は、よくいなくなったのだ。

 お母さんは割烹着がいなくなると「今日は割烹着が家出しているから料理できないわぁ。何か店屋物を頼みましょう」と言った。

 僕は最初そのお母さんの言葉を信じていたけれど、大きくなるにつれてその本当の意味を見抜いた。

 要するに、お母さんは食事を作るのをサボりたい時にそういう嘘をついていたのだろう。

 しかしそれが嘘じゃないことを、僕は自分が大人になってから気づいた。

 僕は妻と共働きで、家事も二人で分担してやっていた。

 夕飯は早く帰ってきた方が作っていたのだが、いざ料理を始めようとするとエプロンがいなくなっているのだ。

 いなくなるという表現はおかしいかもしれないが、今朝までは確かにあったはずなのに、どこを探しても見つけられないのである。

 エプロンがいなくなるのは、決まって僕が「今日は疲れているから料理を作りたくないなぁ」なんて考えている時だった。

 エプロンがいない日は帰ってきた妻と一緒に外食に出かけたり、弁当を買ったりしていた。

 それは子供ができてからも変わらなかった。

 どうしても完璧に家事をこなそうと考えて疲れすぎてしまう僕や妻をいさめるように、エプロンがいなくなる。

 そんな時は「たまにはレトルトだっていいよね」なんて言って、簡単なご飯で済ませるのだった。

 子供たちがみんな成人して家を離れてから、以前よりもさらにエプロンがいなくなることが増えた。

 それは、子供たちがいなくなって僕たちが料理を面倒くさがるようになったからではない。

 エプロンがいなくなると、決まって子供たちからこんな電話が入るのだ。

「ちょっと、お父さん! またエプロンが来たんだけど!」

 一人暮らしを始めて不摂生しがちな子供たちをエプロンが見守ってくれているらしい。

 エプロンの来訪を受けた子供たちはしぶしぶ自炊をするのだ。

 僕は妻と二人で「今日はピザでも取ろうか」と笑い合った。

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