至高のリコーダー

ショートショート作品
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 吹奏楽部の三年生である僕は今日も練習に励んでいた。

 顧問である戸崎が何事かぶつぶつと呟きながら僕たちの練習を聴いている。

 戸崎は生徒たちの間で「つぶやき戸崎」と呼ばれている。

 戸崎は厳しいことで有名な顧問であり、練習中、何か気づいたことがあるとあのようにぶつぶつと何事か呟いて指導事項を整理するのだ。

 そして練習が終わるとその指導が激として飛んでくる。

 戸崎の激は激しいが的を得たものなので、少なくとも音楽的観点から言えば生徒からの信頼は厚い。

 そんなつぶやき戸崎はいつもリコーダーを持っている。

 去年卒業した先輩によるとそのリコーダーは「至高のリコーダー」と呼ばれるものらしい。

 なんでもその音色は「人生を変えてしまうほどの音」だというのだ。

 僕はその音色を一度でいいから聴いてみたいと思ったが、戸崎はリコーダーをただ持っているだけで一度として吹いてくれたことはなかった。

 一度だけリコーダーの音を聴かせてくれと頼んでみたことがあるが「おまえたちにはまだ早い」と一蹴されてしまった。

 何事か呟きながら僕たちの演奏を聴いている戸崎を横目に意識しながら、僕は部活生活最後の演奏会に向けてトランペットを吹いた。

 長いようで短かった部活生活、その最後の演奏会が終わった。

 三年生である僕たちはこれで引退となるが、戸崎から労いの言葉はなかった。

 僕はこの演奏会を最後に音楽をやめようと考えていた。

 様々な才能を目の当たりにして、自分の才能の限界を知ったからだ。

 そして部活の引退からはあっという間に時間が過ぎ、僕は受験を終え、卒業式の日を迎えた。

 と、そんな節目の日に僕は戸崎に呼び出された。

 今から音楽室に来いという。

「えぇと、今からですか」

 そう聞いた僕に戸崎が言った。

「あの笛の音を聞かせてやる」

 僕は一度荷物を置きに教室に戻ってから音楽室に向かった。

 と、そこに戸崎が一人立っていた。

「いいか。一度しか吹かんぞ」

 戸崎はそう言って、リコーダーを吹いた。

 すると、リコーダーからは美しい音色……ではなく、なんと戸崎の声が聞こえてきた。

「おまえのトランペットは技術的にはまだまだ荒いものがあるか、華がある。技術なんて後からついてくる。だから音楽を嫌いになるな。音楽を始めた頃を思い出せ。ただ楽しむだけでいいんだ。音楽を楽しめ」

 戸崎が演奏を止めると、声は止んだ。

 呆然としている僕に戸崎は言った。

「これは集音楽器と呼ばれるものの一種だ。世界に数えるほどしか存在していない。集音楽器には音を吸い込む性質がある。そして吸い込んだ音をこうして吹いたり叩いたりすることで鳴らせるんだ。世界のどこかには、音を吸い込みすぎて二度と叩けなくなった”破耳(はじ)のドラム”なんてものもあるそうだ」

 戸崎はそう言うと、おそらく部活から離れた生徒だけに見せるであろう微笑で「演奏会ごくろう。卒業おめでとう」と言った。

 つぶやき戸崎のつぶやきは、このリコーダーに吸い込まれ、そしてふさわしい日に僕たちの耳に届くのだ。

 僕たちの演奏を見ながらぶつぶつと何事かつぶいやていた戸崎先生の姿を思い出した瞬間、僕の涙腺は音を上げた。

 そして、先生の前だと言うのに僕は大粒の涙を流し、今日が卒業の日だということを初めて自覚したのだった。

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