「切り火」というものがある。
家を出ていく人に火打ち石でカチカチと火花を当てる、あれだ。
厄除けの効果があると言われているその切り火を、僕たちは夫婦でお互いに打ち合っていた。
僕はいつもどおり妻の背中に切り火を打った。
火打ち石から飛び散った火花はそのまま消えた。
「やっぱりでないなぁ」
「私の特技みたいね」
妻は僕から火打ち石を受け取って、切り火を打った。
すると、僕の周りに火花がふわりと浮いた。
僕たちはこの火花を「きーくん」と呼んでいる。
切り火の火花だからきーくんだ。
妻が切り火をするといつもきーくんが生まれるのである。
きーくんは僕の周りをふらふらと飛び回って、僕を守ってくれる。
僕が人から嫌な目にあわされると、チリっと反撃してくれたりする可愛いやつなのだ。
切り火を終えた僕たちは一緒に駅まで歩き始めた。
会社からの帰り道をきーくんと一緒に歩く。
きーくんはいつも我が家の明かりが見えるとすっ飛んで帰る。
どうやら火打ち石の中に戻るらしい。
しかし今日はまだふらふらと僕の周りを漂っている。
「今日はいいのか?」
きーくんに話しかけると、きーくんは、いいのだ、と言うようにふわふわと飛び回った。
「ただいま〜」
玄関の扉を開けると、いつも僕より先に帰っている妻が出迎えてくれた。
そんな妻に聞いてみる。
「もしかして、今日何か怒る予定とかある?」
おかしな質問だが、まだきーくんがいるところを見ると、何か起こるような気がしてならない。
「えぇ? 別にないよ」
妻は不思議そうな顔をして言った。
それから妻と一緒に食事をしていると、突然ブレーカーが落ちて真っ暗になった。
停電だ。
「懐中電灯ってどこだっけ?」
「ろうそくならあったよ!」
妻が持ってきたろうそくに、きーくんがチチチッと移ってろうそくに火が灯った。
どうやらこのためにいてくれたらしい。
僕たちはきーくんの火を眺めながら電気が回復するのを待った。
やがて停電は解消されたけれど、なんとなくろうそくの火を消せなかった。
すると、じっと僕たちに見つめられて恥ずかしくなったのか、ろうそくの火がぼぉっと勢いよく燃えた。
あっという間にろうそくを溶かしてしまったきーくんは、チチチッと火打ち石に帰っていったのである。
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