私の実家である寺では「はちまき供養の火」を焚いている。
はちまきを使い終わった後、そのまま捨ててしまったり、供養せずに放置したりする人がいるが、それは危険である。
はちまきには残留思念が残るのだ。
たとえば、必勝と書いて巻いていた人はずっと何かを頑張り続けてしまうし、合格と書いて巻いていた人は何かに認められたいとずっと承認を求め続ける。
はちまきは使い終わったらきちんと供養しないといけないのだ。
先日、個人の動画投稿者が取材にやってきた。
どんな形であれ注目されるのはいいことだ。
しかしその影響かどうかは分からないが、どうやら別の形で「はちまき供養の火」が使われるようになってしまったらしい。
今日も私の実家には「さとし」だの「かおり」だのといった人の名前が書かれたはちまきが持ち込まれている。
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